「 自分の考えを改めるべき場面 」 一覧

『典座教訓』18、自然のまま喜びの心で引き受ける

凡そ諸の知事頭首、及び当職、作事作務の時節、喜心、老心、大心を保持すべきものなり。いわゆる、喜心とは、喜悦の心なり。想ふべし、我れ若し天上に生ぜば、楽に著して間無し。発心すべからず。修行未だ便ならず。 ...

『典座教訓』15、すべて行ずることが仏事

山僧帰国より以降、錫を建仁に駐むること一両三年。彼の寺、愗かにこの職を置けども、唯名字のみ有って、全く人の実無し。未だ是れ仏事なることを識らず、豈に肯て道を弁肎せんや。真に憐憫すべし。其の人に遇わずし ...

『典座教訓』11、よく自分のことを勤める

又嘉定十六年、癸未、五月の中、慶元の舶裏に在り。倭使頭説話の次で、一老僧有り来る。年六十許歳。一直に便ち舶裏に到って、和客に問うて倭椹を討ね買う。山僧佗を請して茶を喫せしむ。佗の所在を問えば、便ち是れ ...

『典座教訓』10、他人のしたことは自分のしたことにならない

山僧天童に在りし時、本府の用典座職に充てりき。予因みに斎罷んで東廊を過ぎ、超然斎に赴くの路次、典座仏殿前に在って苔を晒す。手に竹杖を携え、頭に片笠無し。天日熱し、地甎熱す。汗流徘徊すれども、力を励して ...

『典座教訓』6、よし悪しの隔てなく授かる心

いわゆる縦い莆菜羮を作るの時も、嫌厭軽忽の心を生ずべからず。縦い頭乳羮を作るの時も、喜躍歓悦の心を生ずべからず。既に耽著無し、何ぞ悪意有らん。然れば則ち、麁に向うと雖も全く怠慢無く、細に逢うと雖も弥精 ...

『典座教訓』5、菜っ葉も伽藍も上下なし

如法に洮汰し、鍋に納れて火を燒き飯を蒸す。古に云く、「飯を蒸す鍋頭を自頭となし、米を淘りて水は是れ身命なりと知る」と。蒸し了る飯は便ち飯籮裏に収め、乃ち飯桶に収めて、抬槃の上に安ぜよ。菜羮等を調弁する ...

『法句経』ダンマパダ - ブッダ 真理のことば

かの尊師・真人・正しく覚った人に敬礼したてまつる。 【 第1章 ひと組みずつ 】 1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみは ...

『正法眼蔵随聞記』70、学人第一の用心は先ず我見を離るべし

また示して云く、学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離るとは、この身を執すべからず。たとひ古人の語話を窮め、常坐鉄石の如くなりと雖も、この身に著して離れざらんは、万劫千生仏祖の道を得べからず。 ...

『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、 ...

『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く

示して云く、大恵禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。 信心銘に云く、「至道かたき ...

『正法眼蔵随聞記』104、古人の云く百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし

示して云く、古人の云く、「百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし。」と。この心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なお手足をはなちて即ち身心を放下せんが如し。 是れについて重々の事あり。 今の世の人、世をのがれ家 ...

『正法眼蔵随聞記』106、学人各々知るべし

示して云く、学人各々知るべし、人々一の非あり、憍奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。 外典に云く、「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし。」と云って、なお富を制し ...

『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実

夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思う心を、次第に知識の言に随って改めて去くなり。 仮令仏と云うは、我が本知ったるようは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知ったり ...

『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時

夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」 帝の云く、「寡人仁あって人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし。」と。 俗なお是の如し。僧はもっ ...

『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり

夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に ...

『正法眼蔵随聞記』97、世間の人自ら云く

一日示して云く、世間の人、自ら云く、「某甲師の言を聞くに、我が心にかなわず。」と。 我れ思うに、この言は非なり。その心如何。もし聖教等の道理を心得をし、すべてその心に違する、非なりと思うか。もし然らば ...

『正法眼蔵随聞記』55、治世の法は上天子より

一日示して云く、治世の法は、上天子より下庶民に至るまで各皆その官に居する者、その業を修す。その人にあらずしてその官をするを乱天の事と云う。政道天意に叶う時、世清み民康すきなり。故に帝は三更の三点におさ ...

『正法眼蔵随聞記』14、俗の帝道の故実を言うに

示して云く、俗の帝道の故実を言うに云く、「虚襟にあらざれば忠言をいれず。」と。言は、己見を存ぜずして、忠臣の言に随って、道理にまかせて帝道を行なうなり。 衲子の学道の故実もまたかくのごとくなるべし。も ...

『正法眼蔵随聞記』17、人その家に生まれ、その道に入らば

一日示して云く、人その家に生まれ、その道に入らば、先ずその家の業を修すべし、知るべきなり。我が道にあらず、自が分にあらざらん事を知り修するは即ち非なり。 今も出家人として、即ち仏家に入り、僧道に入らば ...

『正法眼蔵随聞記』74、学道の人、悟りを得ざる事は

学道の人、悟りを得ざる事は、即ち古見を存ずる故なり。本より誰教えたりとも知らざれども、心と云えば念慮知見なりと思い、草木なりと云えば信ぜず。仏と云えば相好光明あらんずると思うて、瓦礫と説けば耳を驚かす ...

『正法眼蔵随聞記』73、俗人の云く何人か厚衣を欲せざらん

一日示して云く、俗人の云く、「何人か厚衣を欲せざらん、誰人か重味を貪らざらん。然れども、道を存ぜんと思う人は、山に入り水にあき、寒きを忍び餓えをも忍ぶ。先人くるしみ無きにあらず、是れを忍びて道を守れば ...

『正法眼蔵随聞記』75、学人初心の時

一日示して云く、学人初心の時、道心あっても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。 我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらい、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に ...

『正法眼蔵随聞記』76、愚癡なる人は

また云く、愚癡なる人はその詮なき事を思い云うなり。此につかわるる老尼公、当時いやしげにして有るを恥ずるかにて、ともすれば人に向っては昔上郎にて有りし由を語る。喩えば今の人にさありけりと思われたりとも、 ...

『正法眼蔵随聞記』58、学道の人身心を放下して

示して云く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。 古人云く、「百尺竿頭上なお一歩を進む。」と。何にも百尺の竿頭に上って足を放たば死ぬべしと思うて、つよくとりつく心の有るなり。それを思い切りて ...

『正法眼蔵随聞記』69、学道の人自解を執する事なかれ

一日参学の次、示して云く、学道の人、自解を執する事なかれ。たとひ所会ありとも、もしまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もやあらんと思うて、ひろく知識をも訪い、先人の言をも尋ぬべきなり。ま ...

『正法眼蔵随聞記』32、世人多く善事を成す時は

夜話に云く、世人多く善事を成す時は人に知られんと思い、悪事を成す時は人に知られじと思うに依って、この心冥衆の心にかなわざるに依って、所作の善事に感応なく、密に作す所の悪事には罰有るなり。己に依って返り ...

『正法眼蔵随聞記』35、学道の人、世情を捨つべきについて

示して云く、学道の人、世情を捨つべきについて重々の用心あるべし。世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨つるなり。能々思量すべきなり。 世を遁れて山林に隠居し、我が重代の家を絶やさず、家門親族の事を思うも ...

『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり

夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。 真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を ...

『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は

夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思いてん、その事は人よしと思いてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた ...

『正法眼蔵随聞記』52、人の鈍根と云うは、志の到らざる時の事なり

一日示して云く、人の鈍根と云うは、志の到らざる時の事なり。 世間の人、馬より落つる時、いまだ地に落ちざる間に種々の思い起る。身をも損じ、命をも失するほどの大事出来たる時、誰人も才覚念慮を起すなり。その ...

『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ

一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。 昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にあ ...

『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く

一日参の次に示して云く、泉大道の云く、「風に向って坐し、日に向って眠る。時の人の錦被たるに勝れり。」と。 このことば、古人の語なれども少し疑いあり。時の人と云うは、世間貪利の人を云うか。もし然らば、敵 ...



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