【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に入るなり。仏道に入るには善悪を分ち、よしと思い、あししと思う事を捨て、我が身よからん、我が心何とあらんと思う心を忘れ、善くもあれ悪しくもあれ、仏祖の言語行履に順い行くなり。

我が心に善しと思い、また世人のよしと思う事、必ずよからず。然れば、人目も忘れ、心をも捨て、ただ仏教に順い行くなり。身も苦しく、心も患とも、我が身心をば一向に捨てたるものなればと思うて、苦しく愁つべき事なりとも、仏祖先徳の行履ならば為すべきなり。この事はよき事、仏道に叶うたりと思うとも、なしたく行じたくとも、仏祖の心になからん事をなすべからず。是れ即ち法門をもよく心得たる事にて有るなり。

我が心も、また本より習い来れる法門の思量をば捨てて、ただ今見る処の祖師の言語行履に次第に心を移しもて行くなり。是のごとくすれば、智慧もすすみ、悟りも開くるなり。
元来学する所の教家の文字の功も、捨つべき道理あらば捨て、今の義につきて見るべきなり。法門を学する事はもとより出家得道のためなり。我が学する所多年の功を積めり、何ぞやすく捨てんとなお心深く思う、即ちこの心を生死繋縛(けばく)の心と云うなり。能々思量すべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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