「 正法眼蔵随聞記 」 一覧

『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜

嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。 小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁 ...

『正法眼蔵随聞記』11、学道の人、参師聞法の時

示して云く、学道の人、参師聞法の時、能々窮めて聞き、重ねて聞いて決定すべし。問うべきを問わず、言うべきを言わずして過ごしなば、我が損なるべし。 師は必ず弟子の問うを待って発言するなり。心得たる事をも、 ...

『正法眼蔵随聞記』10、唐の太宗の時

示して云く、唐の太宗の時、異国より千里の馬を献ず。帝これを得て喜ばずして、自ら思わく、「たとひ千里の馬なりとも、独り騎って千里に行くとも、従う臣なくんばその詮なきなり。」と。 ちなみに魏徴を召してこれ ...

『正法眼蔵随聞記』9、当世学道する人

示して云く、当世学道する人、多分法を聞く時、先ずよく領解する由を知られんと思うて、答の言のよからん様を思うほどに、聞くことは耳を過ごすなり。詮ずる処道心なく、吾我を存ずる故なり。 ただすべからく先ず我 ...

『正法眼蔵随聞記』8、人法門を問う

一日示して云く、人、法門を問う、あるいは修行の方法を問うことあらば、衲子はすべからく実を以て是れを答うべし。若しくは他の非器を顧み、あるいは初心末入の人意得べからずとて、方便不実を以て答ふべからず。菩 ...

『正法眼蔵随聞記』7、海中に龍門と云う処あり

示して云く、海中に龍門と云う処あり。浪しきりにうつなり。諸の魚、波の処を過ぐれば必ず龍となるなり。故に龍門と云うなり。今は云く、彼の処、浪も他処に異ならず、水も同じくしわはゆき水なり。しかれども定まれ ...

『正法眼蔵随聞記』5、古人云く、聞くべし見るべし

一日示して云く、古人云く、「聞くべし、見るべし。」と。また云く、「経ずんば見るべし、見ずんば聞くべし。」と。 言うところは、聞かんよりは見るべし、見んよりは経べし、いまだ経ずんば見るべし。いまだ見ずん ...

『正法眼蔵随聞記』4、学道の人、衣食に労する事なかれ

雑話の次、示して云く、学道の人、衣食に労することなかれ。この国は辺地小国なりといえども、昔も今も顕密二道に名を得、後代にも人に知られたる人、いまだ一人も衣食に豊なりと云う事を聞かず。皆貧を忍び他事を忘 ...

『正法眼蔵随聞記』3、学道の人、衣食を貪る事なかれ

示して云く、学道の人、衣食を貪る事なかれ。人々皆食分あり、命分あり。非分の食命を求むとも来るべからず。況んや学仏道の人には、施主の供養あり、常の乞食に比すべからず。常住物これあり、私の営みにもあらず。 ...

『正法眼蔵随聞記』2、我れは病者なり、非器なり

示して云く、ある人の云く、「我れ病者なり、非器なり、学道にたえず。法門の最要を聞きて独住隠居して、性をやしない、病をたすけて、一生を終えん。」と云うに、 示して云く、先聖必ずしも金骨にあらず、古人豈皆 ...

『正法眼蔵随聞記』13、仏々祖々、皆本は凡夫なり

示して云く、仏々祖々皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。鈍もあり、癡もあり。然れども皆、改めて知識に従い、教行に依りしかば、皆仏祖と成りしなり。 今の人も然るべし。我が身おろかなれば ...

『正法眼蔵随聞記』12、道者の用心

示して云く、道者の用心、常の人に殊なる事あり。 故建仁寺の僧正在世の時、寺絶食す。ある時一人の檀那請じて絹一疋施す。僧正悦びて自ら取って懐中して、人にも持たせずして、寺に返って知事に与へて云く、「明旦 ...

『正法眼蔵随聞記』31、世間の男女老少

雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く雑談の次で、あるいは交会婬色等の事を談ず。是れを以て心を慰めんとし興言とする事あり。一旦心をも遊戲し、徒然も慰むと云うとも、僧はもっとも禁断すべき事なり。俗なおよ ...

『正法眼蔵随聞記』16、戒行持斎を守護すべければとて

また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れ奉公に立て、是れに依って得道すべしと思うもまたこれ非なり。ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば、従いゆくなり。是れを能事と云えばとて、あ ...

『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし

一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば仰信すべし。内心 ...

『正法眼蔵随聞記』18、広学博覧はかなうべからざる事なり

示して云く、広学博覧はかなうべからざる事なり。一向に思い切って、留まるべし。ただ一事について用心故実をも習い、先達の行履をも尋ねて、一行を専ら励みて、人師先達の気色すまじきなり。 ⇒ 続きを読む ⇒  ...

『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する ...

『正法眼蔵随聞記』25、無常迅速なり、生死事大なり

示して云く、無常迅速なり、生死事大なり。しばらく存命の間、業を修し学を好まんには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。 文筆詩歌等その詮なきなり。捨つべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなお ...

『正法眼蔵随聞記』57、得道の事は心をもて得るか

また云く、得道の事は心をもて得るか、身を以て得るか。 教家等にも「身心一如」と云って、「身を以て得」とは云えども、なお「一如の故に」と云う。正しく身の得る事はたしかならず。 今我が家は、身心ともに得る ...

『正法眼蔵随聞記』28、人は世間の人も衆事を兼ね学して

夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学していづれも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が ...

『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて

一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと ...

『正法眼蔵随聞記』48、古人云く朝に道を聞かば夕に死すとも可なり

夜話に云く、古人云く、「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」と。今の学道の人、この心あるべきなり。広劫多生の間、幾回か徒らに生じ、徒らに死せし。まれに人界に生まれて、たまたま仏法に逢う時、何にしても死 ...

『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、 ...

『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く

示して云く、大慧禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。 信心銘に云く、「至道かたき ...

『正法眼蔵随聞記』70、学人第一の用心は先ず我見を離るべし

また示して云く、学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離るとは、この身を執すべからず。たとひ古人の語話を窮め、常坐鉄石の如くなりと雖も、この身に著して離れざらんは、万劫千生仏祖の道を得べからず。 ...

『正法眼蔵随聞記』103、古人云く知因識果の知事に属して

示して云く、古人云く、「知因識果の知事に属して、院門の事全て管ぜず。」と。言う心は、寺院の大小の事、すべからく管せず、ただ工夫打坐すべしとなり。 また云く、「良田万頃よりも薄芸身に従うるにはしかず。」 ...

『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめら ...

『正法眼蔵随聞記』92、古人多くは云く光陰虚しく度る事なかれ

示して云く、古人多くは云く、「光陰虚しく度る事なかれ。」と。あるいは云く、「時光、徒らに過ごす事なかれ。」と。 学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。しばらく存ずる ...

『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ

示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに ...

『正法眼蔵随聞記』66、学道の人は先ずすべからく貧なるべし

一日僧来って学道之用心を問う次に示して云く、学道の人は先ずすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失う。在家学道の者、なお財宝にまとわり、居所を貪り、眷属に交われば、たとひその志ありと云えども障道 ...

『正法眼蔵随聞記』63、唐の太宗即位の後

一夜示して云く、唐の太宗即位の後、旧き殿に栖み給えり。破損せる間、湿気あがり、侵して玉躰侵さるべし。臣下作造るべき由を奏しければ、帝の云く、「時、農節なり。民定めて愁あるべし。秋を待って造るべし。湿気 ...

『正法眼蔵随聞記』104、古人の云く百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし

示して云く、古人の云く、「百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし。」と。この心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なお手足をはなちて即ち身心を放下せんが如し。 是れについて重々の事あり。 今の世の人、世をのがれ家 ...



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