【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

投稿日:1235年6月11日 更新日:

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する僧をばあるいは拳を以て打ち、あるいはくつをぬいで打ち、恥しめ勧めて眠りを覚す。なお眠る時は照堂に行き、鐘を打ち、行者を召して蝋燭を燃しなんどして卒時に普説して云く、

「僧堂裏に集まり居して徒らに眠りて何の用ぞ。然れば何ぞ出家入叢林する。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をやすくする。王道を収め忠節を尽くし、乃至庶民は田を開き鍬をとるまでも、何人か身をやすくして世を過ごす。是れをのがれて叢林に入って虚く時光を過ごす、畢竟じて何の用ぞ。生死事大なり、無常迅速なり。教家も禅家も同くすすむ。今夕明旦、何なる死をか受け何なる病をかせん。且く存ずるほど、仏法を行ぜず眠り臥して虚しく時を過ござん、もっとも愚かなり。故に仏法は哀え去くなり。諸方仏法のさかりなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせり。近代諸方坐をすすめざれば、仏法澆薄しもてゆくなり。」

是のごとく道理を以て衆僧をすすめて坐禅せしめし事、親しくこれを見しなり。今の学人も彼の風を思うべし。

またある時、近仕の侍者等云く、「僧堂裡の衆僧眠りつかれ、あるいは病も発り、退心も起りつべし。坐久しき故か、坐禅の時剋を縮らればや。」と申しければ、長老大いに諫めて云く、

「然るべからず。無道心の者、仮名に僧堂に居するは、半時片時なりともなお眠るべし。道心あって修行の志あらんは、長からんにつけ喜び修せんずるなり。我れ若かりし時、諸方の長老を歴観せしに、是のごとくすすめて眠る僧をば拳のかけなんとするほど打ちせめしなり。今は老後になりて、よわくなりて、人をも打得せざるほどに、よき僧も出来らざるなり。諸方の長老も坐を緩くすすむる故に、仏法は衰微せるなり。いよいよ打つべきなり。」とのみ示されしなり。

⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

『正法眼蔵随聞記』

<< 戻る

-仏教を本気で学ぶ
-, , , , , , , ,



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.