また云く、得道の事は心をもて得るか、身を以て得るか。
教家等にも「身心一如」と云って、「身を以て得」とは云えども、なお「一如の故に」と云う。正しく身の得る事はたしかならず。
今我が家は、身心ともに得るなり。その中に、心をもて仏法を計校する間は、万劫千生にも得べからず。心を放下して、知見解会を捨つる時、得るなり。見色明心、聞声悟道の如きも、なお身を得るなり。
然れば、心の念慮知見を一向捨てて、只管打坐すれば、今少し道は親しみ得るなり。然れば道を得る事は、正しく身を以て得るなり。是れによりて坐を専らにすべしと覚ゆるなり。
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『正法眼蔵随聞記』
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