「 ひたすら坐禅することの重要性 」 一覧

『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜

嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。 小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁 ...

『正法眼蔵随聞記』16、戒行持斎を守護すべければとて

また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れ奉公に立て、是れに依って得道すべしと思うもまたこれ非なり。ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば、従いゆくなり。是れを能事と云えばとて、あ ...

『正法眼蔵随聞記』28、人は世間の人も衆事を兼ね学して

夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学していづれも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が ...

『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する ...

『正法眼蔵随聞記』57、得道の事は心をもて得るか

また云く、得道の事は心をもて得るか、身を以て得るか。 教家等にも「身心一如」と云って、「身を以て得」とは云えども、なお「一如の故に」と云う。正しく身の得る事はたしかならず。 今我が家は、身心ともに得る ...

『正法眼蔵随聞記』103、古人云く知因識果の知事に属して

示して云く、古人云く、「知因識果の知事に属して、院門の事全て管ぜず。」と。言う心は、寺院の大小の事、すべからく管せず、ただ工夫打坐すべしとなり。 また云く、「良田万頃よりも薄芸身に従うるにはしかず。」 ...

『正法眼蔵随聞記』70、学人第一の用心は先ず我見を離るべし

また示して云く、学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離るとは、この身を執すべからず。たとひ古人の語話を窮め、常坐鉄石の如くなりと雖も、この身に著して離れざらんは、万劫千生仏祖の道を得べからず。 ...

『正法眼蔵随聞記』92、古人多くは云く光陰虚しく度る事なかれ

示して云く、古人多くは云く、「光陰虚しく度る事なかれ。」と。あるいは云く、「時光、徒らに過ごす事なかれ。」と。 学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。しばらく存ずる ...

『正法眼蔵随聞記』99、大恵禅師ある時

示して云く、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。 医師是れを見て、「大事の物なり。」と云う。 恵云く、「大事の物ならば死すべしや。」 医云く、「ほとんどあやうかるべし。」 恵云く、「もし死ぬべくは、いよい ...

『正法眼蔵随聞記』15、続高僧伝の中に

一日示して云く、『続高僧伝』の中に、ある禅師の会に一僧あり。金像の仏と、また仏舎利とを崇め用いて、衆寮等にも有って、常に焼香礼拝し恭敬供養す。 有る時禅師の云く、「汝が崇むる処の仏像舎利は、後には汝が ...

『正法眼蔵随聞記』17、人その家に生まれ、その道に入らば

一日示して云く、人その家に生まれ、その道に入らば、先ずその家の業を修すべし、知るべきなり。我が道にあらず、自が分にあらざらん事を知り修するは即ち非なり。 今も出家人として、即ち仏家に入り、僧道に入らば ...

『正法眼蔵随聞記』42、我れ在宋の時禅院にして古人の語録を見し時

一日示して云く、我れ在宋の時、禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧の道者にてありしが、我れに問うて云く、「何の用ぞ。」 云く、「郷里に帰って人を化せん。」 僧云く、「何の用ぞ。」 云く、「利生の ...

『正法眼蔵随聞記』81、楊岐山の会禅師

示して云く、楊岐山の会禅師、住持の時、寺院旧損してわづらい有りし時に、知事申して云く、「修理有るべし。」 会云く、「堂閣破れたりとも露地樹下には勝れたるべし。一方破れてもらば一方のもらぬ所に居して坐禅 ...

『正法眼蔵随聞記』71、古人云く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる

一日示して云く、古人云く、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」と。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり。 昔、倶胝和尚に使えし一人の童子のごときは、いつ学し、いつ修したりとも見へず、覚えざれ ...

『正法眼蔵随聞記』107、学道の最要は坐禅これ第一なり

示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然れば、学人祇管打坐して他を管ず ...

『正法眼蔵随聞記』94、奘問うて云く、叢林の勤学の行履と云うは

一日奘問うて云く、「叢林の勤学の行履と云うは如何。」 示して云く、只管打坐なり。あるいは閣上、あるいは桜下にして常坐をいとなむ。人に交わりて物語をせず、聾者の如く瘂者の如くにして常に独坐を好むなり。 ...

スッタニパータ【第2 小なる章】10、精励

331 起てよ(しっかりせよ)、坐れ(禅定を修せよ)。眠ってあなたたちに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。 333 神々も人間も、物を欲しがり、執著に捕らわれ ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】16、サーリプッタ

955 サーリプッタさんが言った、 「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。このように言葉美わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来りたもうたことを。 956 眼ある人(ブッ ...



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