【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』15、続高僧伝の中に

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日示して云く、『続高僧伝』の中に、ある禅師の会に一僧あり。金像の仏と、また仏舎利とを崇め用いて、衆寮等にも有って、常に焼香礼拝し恭敬供養す。

有る時禅師の云く、「汝が崇むる処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらん。」と。その僧うけがわず。

師云く、「是れ天魔波旬の付処なり。早く是れを捨てざらんや。」その僧憤然として出づれば、
師、僧の後に云い懸けて云く、「汝、箱を開いて是れを見るべし。」
僧、怒りながら是れを開いて見れば、果して毒蛇わだかまって臥せり。

是れを思うに、仏像舎利は如来の遣骨なれば恭敬すべしと云えども、また一えに是れを仰ぎて得悟すべしと思わば、還って邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。仏説に功徳あるべしと見えたれば、人天の福分となる事、生身と斉し。惣て三宝の境界、恭敬すれば罪滅し功徳を得る事、悪趣のをも消し、人天の果をも感ずる事は実なり。是れによりて仏の悟りを得たりと執するは僻見なり。

仏子と云うは、仏教に順じて、直に仏位に到らんためには、ただ教に随って功夫弁道すべきなり。その教に順ずる実の行と云うは、即ち今の叢林の宗とする只管打坐なり。是れを思うべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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