【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時

投稿日:1235年6月11日 更新日:

示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来って云く、「我が家貧にして絶煙数日におよぶ、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救い給え。」と云う。

その時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮を巡らすに計略つきぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、光の料に打ちのべたる銅少分ありき。是れを取って自ら打ち折って束円めて彼の貧客に与えて云く、「是れを以て食物をかへて、餓をふさぐべし。」と。彼の俗悦んで退出ぬ。

門弟子等難じて云く、「正しく是れ仏像の光なり。以て俗人に与ふ、仏物己用の罪如何。」
僧正答えて云く、「実に然るなり。但し、仏意を思うに、身肉手足を分って衆生に施すべし。現に餓死すべき衆生には、たとひ全躰を以て与うとも仏意に叶うべし。また我れこの罪に依ってたとひ悪趣に堕すべくとも、ただ衆生の飢えを救うべし。」云々。
先達の心中のたけ、今の学人も思うべし。忘るる事なかれ。

またある時、僧正の門弟の僧云く、「今の建仁寺の寺敷河原に近し。後代に水難ありぬべし。」
僧正の云く、「我等後代の亡失これを思うべからず。西天の祇園精舎も礎計留れりしかども、寺院建立の功徳失すべからず。また当時一年半年の行道、その功徳莫大なるべし。」と。

今これを思うに、寺院の建立は実に一期の大事なれば、未来際をも兼ねて難無きやうにとこそ思うべけれども、さる心中にも、是の如き道理を存ぜられし心のたけ、実にこれを思うべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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