【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第2 小なる章】5、スーチローマ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

 わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師ブッダ)はガヤー村のタンキク石床におけるスーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。その時カラという神霊とスーチローマという神霊に言った、「彼は道の人である」と。スーチローマという神霊は言った、「彼は真の道の人であるか、あるいは似而非の道の人であるかを、わたしが知らないうちは、彼は真の道の人ではなくて、似而非の道の人である。」

 そこでスーチローマという神霊は、のもとに至り、そうして身をに近づけた。ところがは身を退けた。そこでスーチローマという神霊はに言った、「道の人よ。あなたはわたしを恐れるのか。」いわく、「友よ。わたしはあなたを恐れているのではない。しかしあなたに触れることは悪いのだ。」スーチローマという神霊は言った、「道の人よ。わたしはあなたに質問しよう。もしもあなたがわたしに解答しないならば、あなたの心を乱し、あなたの心臓を裂き、あなたの両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 は答えた、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生ける者どもの内で、我が心を乱し、我が心臓を裂き、我が両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見ない。友よ。あなたが聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、に呼びかけた。

270 貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生じるのであるか。好きと嫌いと身の毛もよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?あたかもこどもらが鳥を投げ捨てるように。

271 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛もよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、あたかもこどもらが鳥を投げ捨てるように。

272 それらは愛執から起こり、自身から現われる。あたかもバニヤンの新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の執著していることは、たとえば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。

273 神霊よ、聞け。それらの煩悩がいかなる原因にもとずいて起こるかを知る人々は、煩悩を除きさる。彼らは、渡り難く、未だかって渡った人のいないこの激流を渡り、もはや再び生存をうけることがない。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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