「 仏祖になった人の生き方 」 一覧
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「正法眼蔵」生死(しょうじ)
2020/09/24 -仏教を本気で学ぶ
し, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 夾山善会, 定山神英, 正法眼蔵, 自分の考えを改めるべき場面, 身と心が両方いっしょに道を得る生死の中に仏あれば生死なし。又云く、生死の中に仏なければ生死にまどはず。 心は、夾山、定山といはれしふたりの禅師の言葉なり。得道の人の言葉なれば、さだめてむなしくまうけじ。 生死を離れんとおもはん人、 ...
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「正法眼蔵」三時業(さんじごう)
2020/09/24 -仏教を本気で学ぶ
お釈迦様(ブッダ), さ, アジャータシャトル, サーリプッタ, デーヴァダッタ, モッガラーナ, 仏祖になった人の生き方, 南泉普願, 慧可, 正法眼蔵, 生あるものに利益を与えることを行う, 自分の考えを改めるべき場面, 長沙景岑, 闍夜多, 阿逸多, 鳩摩羅多第十九祖鳩摩羅多尊者、至中天竺国、有大士、名闍夜多。問曰、我家父母、素信三宝。而甞縈疾瘵、凡所営事、皆不如意。而我鄰家、久為栴陀羅行、而身常勇健、所作和合。彼何幸、而我何辜(第十九祖鳩摩羅多尊者、中天 ...
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『典座教訓』16、自他の境をとりはずす
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月05日, し, その時その時を大事にする, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 典座教訓, 洞山良价, 目の前の人のために出来ることをするまさにしるべしたいまだかつて 応に知るべし佗未だかつて ほっしんせずといえども、 発心せずと雖も、 もしひとりのほんぶんにんをみまわば、 若し一の本分人を見ば、 すなわちそのどうをぎょうとくせん。 則 ...
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『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月29日, その時その時を大事にする, た, 世間の物差しで考えない, 仏祖になった人の生き方, 余計なものを貯えずに生きる, 典座教訓せしゅいんにいって 施主院に入って ざいをしゃしさいをもうけば、 財を捨し斎を設けば、 またまさにもろもろのちじ また当に諸の知事 いっとうにしょうりょうすべし。 一等に商量すべし。 これそうりんのき ...
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『典座教訓』20、天地の寸法は隔たりがない
1237/01/01 -仏教を本気で学ぶ
08月09日, て, 仏祖になった人の生き方, 典座教訓, 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す, 分け隔てする心を改める, 洞山良价いわゆる、だいしんとは、 いわゆる、大心とは、 そのこころをだいせんにし、 其の心を大山にし、 そのこころをたいかいにし、 其の心を大海にし、 へんなくとうなきこころなり。 偏無く党無き心なり。 りょ ...
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『典座教訓』(てんぞきょうくん)
1237/01/01 -仏教を本気で学ぶ, 年表
07月21日, 1237年, ただ一つの事に向き合う, て, 仏祖になった人の生き方, 典座教訓, 曹洞宗の出来事, 洞山良价, 潙山霊祐, 道元禅師, 鎌倉時代典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視され ...
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『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜
1236/12/31 -仏教を本気で学ぶ
1236年, 12月31日, か, その時その時を大事にする, ひたすら坐禅することの重要性, 人は影響し合う, 仏祖になった人の生き方, 孤雲懐奘, 正法眼蔵随聞記, 洞山良价, 興聖寺-京都府宇治市, 菩提達磨大師, 薬山惟儼, 阿難, 麻三斤嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。 小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁 ...
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『正法眼蔵随聞記』13、仏々祖々、皆本は凡夫なり
示して云く、仏々祖々皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。鈍もあり、癡もあり。然れども皆、改めて知識に従い、教行に依りしかば、皆仏祖と成りしなり。 今の人も然るべし。我が身おろかなれば ...
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『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月31日, ひたすら坐禅することの重要性, わ, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 天童如浄, 教える人の心構え, 正法眼蔵随聞記, 重要な話また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する ...
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『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月09日, ひ, 丹霞天然, 仏祖になった人の生き方, 他人の評価を気にするのはやめよう, 分け隔てする心を改める, 正法眼蔵随聞記, 評価されることを望まない一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば仰信すべし。内心 ...
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『正法眼蔵随聞記』16、戒行持斎を守護すべければとて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
04月21日, か, ひたすら坐禅することの重要性, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 百丈懐海, 菩薩戒また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れ奉公に立て、是れに依って得道すべしと思うもまたこれ非なり。ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば、従いゆくなり。是れを能事と云えばとて、あ ...
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『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月28日, か, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 徳が外にあらわれるということ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、 ...
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『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月05日, か, ただ一つの事に向き合う, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 心を整えるのは難しいこと, 正法眼蔵随聞記, 重要な話示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに ...
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『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月14日, か, そのままを理解する, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に ...
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『正法眼蔵随聞記』80、俗人の云く城を傾くる事は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月23日, そ, 仏祖になった人の生き方, 分け隔てする心を改める, 教える人の心構え, 正法眼蔵随聞記, 重要な話示して云く、俗人の云く、「城を傾くる事は、うちにささやき事出来るによる。」 また云く、「家に両言有る時は針をも買ふ事なし。家に両言無き時は金をも買うべし。」と。 俗人なお家をもち城を守るに同心ならでは ...
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『正法眼蔵随聞記』97、世間の人自ら云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月10日, せ, どんな聞き方をすればいいか, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話一日示して云く、世間の人、自ら云く、「某甲師の言を聞くに、我が心にかなわず。」と。 我れ思うに、この言は非なり。その心如何。もし聖教等の道理を心得をし、全てその心に違する、非なりと思うか。もし然らば、 ...
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『正法眼蔵随聞記』99、大恵禅師ある時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月12日, た, ひたすら坐禅することの重要性, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 病気の時の学び方示して云く、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。 医師是れを見て、「大事の物なり。」と云う。 恵云く、「大事の物ならば死すべしや。」 医云く、「ほとんどあやうかるべし。」 恵云く、「もし死ぬべくは、いよい ...
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『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月12日, こ, 仏祖になった人の生き方, 他人の評価を気にするのはやめよう, 余計なものを貯えずに生きる, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記, 祇園精舎, 頼みごとをされた場合の対処方法示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来って云く、「我が家貧にして絶煙数日におよぶ、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救い給え。」と云う。 その時、房中に都て衣食財物等無りき。思 ...
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『正法眼蔵随聞記』58、学道の人身心を放下して
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月02日, か, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 身と心が両方いっしょに道を得る示して云く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。 古人云く、「百尺竿頭上なお一歩を進む。」と。何にも百尺の竿頭に上って足を放たば死ぬべしと思うて、強くとりつく心の有るなり。それを思い切りて一 ...
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『正法眼蔵随聞記』75、学人初心の時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月18日, か, 仏祖になった人の生き方, 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す, 正法眼蔵随聞記, 物事を始めるタイミング, 自分の考えを改めるべき場面一日示して云く、学人初心の時、道心あっても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。 我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらい、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に ...
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『正法眼蔵随聞記』82、ある客僧の云く、近代の遁世の法
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月25日, あ, その時その時を大事にする, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 物質的に豊かではない事のメリット一日ある客僧の云く、「近代の遁世の法、各々時料等の事、かまえて、後、わづらいなきように支度す。これ小事なりと云えども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来る。今この御様を承り及ぶに、一切その支度なく、 ...
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『正法眼蔵随聞記』91、真浄の文和尚
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月04日, し, どんな言葉で話せばいいか, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる示して云く、真浄の文和尚、衆に示して云く、「我れ昔雪峰とちぎりを結びて学道せし時、雪峰同学と法門を論じて、衆寮に高声に諍談す。ついに互いに悪口に及ぶ。よって誼す。事散じて、峰、真浄にかたりて云く、『我 ...
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『正法眼蔵随聞記』26、昔、智覚禅師と云し人
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月01日, む, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記示して云く、昔、智覚禅師と云し人の発心出家の事、この師は初めは官人なり。富に誇るに正直の賢人なり。有る時、国司たりし時、官銭を盗んで施行す。傍の人、是れを官奏す。帝、聴いて大いに驚きあやしむ。諸臣皆あ ...
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『正法眼蔵随聞記』86、俗人の云く、財はよく身を害す
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月29日, そ, 仏祖になった人の生き方, 徳が外にあらわれるということ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる一日示して云く、俗人の云く、「財はよく身を害す。昔もこれあり、今もこれあり。」と。 言う心は、昔一人の俗人あり。一人の美女をもてり。威勢ある人これを請う。かの夫、是れを惜しむ。終に軍を興して囲めり。彼 ...
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『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月08日, い, 世間の物差しで考えない, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面一日参の次に示して云く、泉大道の云く、「風に向って坐し、日に向って眠る。時の人の錦被たるに勝れり。」と。 この言葉、古人の語なれども少し疑いあり。時の人と云うは、世間貪利の人を云うか。もし然らば、敵対 ...
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『正法眼蔵随聞記』107、学道の最要は坐禅これ第一なり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月20日, か, ひたすら坐禅することの重要性, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 重要な話示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然れば、学人祇管打坐して他を管ず ...
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『正法眼蔵随聞記』102、春秋に云く
示して云く、春秋に云く、「石の堅き、是れをわれどもその堅きを奪うべからず。丹のあかき、是れをわれどもそのあかき事を奪うべからず。」と。 玄沙因に僧問う、「如何なるか是れ堅固法身。」沙云く、「膿滴々地。 ...
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『正法眼蔵随聞記』93、学道はすべからく吾我を離るべし
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月06日, か, 世間の物差しで考えない, 仏祖になった人の生き方, 他人の評価を気にするのはやめよう, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 重要な話一日示して云く、学道はすべからく吾我を離るべし。たとひ千経万論を学し得たりとも、我執を離れずは終に魔坑に落つ。古人云く、「仏法の身心なくは、いづくんぞ仏となり祖とならん。」と。 我を離ると云うは、我が ...
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『法句経』ダンマパダ【 第14章 ブッダ 】
0202/05/30 -仏教を本気で学ぶ
03月26日, お釈迦様(ブッダ), ふ, ダンマパダ, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 重要な話179 ブッダの勝利は敗れることがない。この世においては何人も、彼の勝利には達し得ない。ブッダの境地は広くて果てしがない。足跡を持たない彼を、いかなる道によって誘い得るであろうか? 180 誘なうため ...
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『法句経』ダンマパダ【 第7章 真人 】
90 すでに人生の旅路を終え、憂いを離れ、あらゆる事柄にくつろいで、あらゆる束縛の絆を逃れた人には、悩みは存在しない。 91 心をとどめている人々は努め励む。彼らは住居(執着)を楽しまない。白鳥が池を ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】4、田を耕すバーラドヴァージャ
0202/05/28 -仏教を本気で学ぶ
01月04日, た, スッタニパータ, マガダ国, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 田を耕すバラモン・バーラドヴァージャわたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。その時、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結び ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】8、慈しみ
143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して為すべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、言葉優しく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。 144 足ることを知り、わ ...