【仏教用語/人物集 索引】

『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること

投稿日:1237年8月13日 更新日:

せしゅいんにいって
施主院に入って

ざいをしゃしさいをもうけば、
財を捨し斎を設けば、

またまさにもろもろのちじ
また当に諸の知事

いっとうにしょうりょうすべし。
一等に商量すべし。

これそうりんのきゅうれいなり。
是れ叢林の旧例なり。

えもつひょうさんは、
回物俵散は、

おなじくともにしょうりょうせよ。
同じく共に商量せよ。

けんをおかししょくをみだすことを
権を侵し職を乱す事を

えざれ。さいしゅくにょほうに
得ざれ。斎粥如法に

べんじおわらば、あんじょうにあんちし、
弁じ了らば、案上に安置し、

てんぞけさをかけ、ざぐをのべ
典座袈裟を搭け、坐具を展べ

まずそうどうをのぞんで、
先ず僧堂を望んで、

ふんこうきゅうはいし、
焚香九拝し、

はいしおわって
拝し了って

すなわちじきをはっすべし。
乃ち食を発すべし。

いちにちよをへ、
一日夜を経、

さいしゅくをちょうべんし、
斎粥を調弁し、

むなしくこういんをわたることなかれ。
虚しく光陰を度ること無れ。

じつのはいびあらば、こどうせい、
実の排備有らば、挙動施為、

おのずからしょうたいちょうようのごうと
自ら聖胎長養の

なり、たいほほんしんせば、
成り、退歩飜身せば、

すなわちこれ
便ち是れ

だいしゅうあんらくのみちなり。
大衆安楽の道なり。

しかあるにいまわがにほんこく、
而あるに今我が日本国、

ぶっぽうのみょうじ
仏法の名字

きききたることすでにひさし。
聞き来ること已に久し。

しかあれどもそうじきにょほうさのことば
然あれども僧食如法作の言、

せんじんきせず、せんとくおしえず。
先人記せず、先徳教えず。

いわんやそうじききゅうはいのれい、いま
況んや僧食九拝の礼、未

だゆめにだもみざることあり。
だ夢にだも見ざること在り。

こくじんおもえらく、
国人謂えらく、

「そうじきのこと、
「僧食の事、

そうけさじきほうのことは、
僧家作食法の事は、

あたかもきんじゅうのごとし」と。
宛も禽獣の如し」と。

じきほうじつにあわれみをしょうずべし、
食法実に憐みを生ずべし、

じつにかなしみをしょうずべし、
実に悲しみを生ずべし、

いかんぞや。
如何んぞや。

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