『典座教訓』8、ことに見合った細かい心配り

投稿日:2023年8月13日 更新日:

此の如く参来し参去して、如し纎毫の疑猜有らば、他の堂司、及び諸寮の頭首、寮主、寮首座等に問い、疑を銷し来って便ち商量すらく、一粒米を喫するに、一粒米を添え、一粒米を分ち得れば、却て両箇の半粒米を得。三分、四分、一半、両半あり。他の両箇の半粒米を添れば、便ち一箇の一粒米と成る。又九分を添えて、剩り幾く分と見、今九分を収めて、佗れ幾く分と見る。一粒の盧陵米を喫得して便ち潙山僧を見、一粒の盧陵米を添得して、又水牯牛を見る。水牯牛潙山僧を喫し、潙山僧水牯牛を牧す。吾れ量得すや也た未だしや。儞算得すや也た未だしや。検し来り点し来って、分明に分曉し、機に臨みて便ち説き、人に対して即ち道え。且つ恁のごときの功夫、一如二如、二日三日、未だしばらくも忘るべからざるなり。

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※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるための功夫をしています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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