「 典座教訓 」 一覧

『典座教訓』19、親心は無償の心

いわゆるろうしんとは、 いわゆる老心とは、 ふぼのこころなり。たとえば 父母の心なり。たとえば ふぼのいっしをおもうがごとく、 父母の一子を念うがごとく、 さんぼうをそんねんすること 三宝を存念するこ ...

『典座教訓』18、自然のまま喜びの心で引き受ける

おおよそもろもろのちじちょうしゅ、 凡そ諸の知事頭首、 およびとうしょく、さじさむのじせつ、 及び当職、作事作務の時節、 きしん、ろうしん、だいしんをほじすべ 喜心、老心、大心を保持すべ きものなり。 ...

『典座教訓』17、ただ自然に変わっていくだけ

もしことをたっとぶべきものならば、 若し事を貴ぶべき者ならば、 ごどうのことをたっとぶべし。 悟道の事を貴ぶべし。 もしときをたっとぶべきものならば、 若し時を貴ぶべき者ならば、 ごどうのときをたっと ...

『典座教訓』16、自他の境をとりはずす

まさにしるべしたいまだかつて 応に知るべし佗未だかつて ほっしんせずといえども、 発心せずと雖も、 もしひとりのほんぶんにんをみまわば、 若し一の本分人を見ば、 すなわちそのどうをぎょうとくせん。 則 ...

『典座教訓』15、全て行ずることが仏事

さんぞうきこくよりこのかた、 山僧帰国より以降、 しゃくをけんにんにとどむること 錫を建仁に駐むること いちりょうさんねん。かのてら、 一両三年。彼の寺、 おろかにこのしょくをおけども、 愗かにこの職 ...

『典座教訓』14、修行は日々の足下にある

しらずんばあるべからず。 知らずんばあるべからず。 おもうべし 想うべし ふさいよくしょうたいをやしない、 莆菜能く聖胎を養い、 よくどうがをしょうずることを。 能く道芽を長ずることを。 いやしとなす ...

『典座教訓』13、まず心をこめて行ずること

まことにそれとうしき、 誠に夫れ当職、 せんもんげんしょう、 先聞現証、 めにありみみにあり。 眼に在り耳に在り。 もじありどうりあり。 文字有り道理有り。 しょうてきというべきか。たとい 正的と謂う ...

『典座教訓』12、学問も修行も天地のいのちに気付くこと

どうねん7がつ、 同年七月、 さんぞうてんどうにかしゃくす。 山僧天童に掛錫す。 ときにかのてんぞきたってしょうけんして 時に彼の典座来得て相見して いわく、「かいげりょうにてんぞをたいし 云く、「解 ...

『典座教訓』11、よく自分のことを勤める

またかてい16ねん、みずのとひつじ、 又嘉定十六年、癸未、 ごがつのころ、 五月の中、 けいげんのはくりにあり。 慶元の舶裏に在り。 わしせったのついで、 倭使頭説話の次で、 いちろうそうありきたる。 ...

『典座教訓』10、他人のしたことは自分のしたことにならない

さんぞうてんどうにありしとき、 山僧天童に在りし時、 ほんぷのようてんぞしょくにみてりき。 本府の用典座職に充てりき。 よちなみにさいまかんでとうろうをすぎ 予因みに斎罷んで東廊を過ぎ ちょうねんさい ...

『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること

せしゅいんにいって 施主院に入って ざいをしゃしさいをもうけば、 財を捨し斎を設けば、 またまさにもろもろのちじ また当に諸の知事 いっとうにしょうりょうすべし。 一等に商量すべし。 これそうりんのき ...

『典座教訓』8、ことに見合った細かい心配り

このごとくさんらいしさんきょして、 此の如く参来し参去して、 もしせんごうのぎさいあらば、 如し纎毫の疑猜有らば、 たのどうす、 他の堂司、 およびしょりょうのちょうしゅ、 及び諸寮の頭首、 りょうし ...

『典座教訓』7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し

このことわりひつぜんなるすら、 この理必然なるすら、 なおいまだめいりょうならざるは、 なお未だ明了ならざるは、 そつにしぎふんぴしてそのやばの 卒に思議紛飛して其の野馬の ごとく、じょうねんほんちし ...

『典座教訓』6、よし悪しの隔てなく授かる心

いわゆるたとい いわゆる縦い ふさいこうふさいこうをつくるときも、 莆菜羮を作る時も、 けんおきょうこつのこころをしょうずべ 嫌厭軽忽の心を生ずべ からず。たといづにゅうこうをつくる からず。縦い頭乳 ...

『典座教訓』5、菜っ葉も伽藍も上下なし

にょほうにとうたし、くわにいれて 如法に洮汰し、鍋に納れて ひをたきはんをむす。いにしえにいわく、 火を燒き飯を蒸す。古に云く 「はんをむすくわじゅうをじじゅうとなし 「飯を蒸す鍋頭を自頭となし こめ ...

『典座教訓』4、心を他のことに移さない

じょうこゆうどうのこうし、 上古有道の高士、 おのずからてずからくわしくいたり、 自ら手ずから精しく至り、 これをしゅうすることのごとし。 之を修することこの如し。 こうらいのばんしん、 後来の晩進、 ...

『典座教訓』3、米を洗うことも修行のうち

『ぜんえんしんぎ』にいわく、 『禅苑清規』に云く、 ろくみしょうならず、さんとくたらざ 「六味精ならず、三徳給らざ るは、てんぞのしゅうにぶする るは、典座の衆に奉する しょいにあらず」と。 所以にあ ...

『典座教訓』2、心が整えば味も整う

ゆえにせぞくのじきづしおよび 所以に世俗の食厨子及び せんぷとうにおなじからざるものか。 饌夫等に同じからざる者か。 さんぞうざいそうのとき、かじつ 山僧在宋の時、暇日 ぜんしごんきゅうとうにしもんす ...

『典座教訓』20、天地の寸法は隔たりがない

いわゆる、だいしんとは、 いわゆる、大心とは、 そのこころをだいせんにし、 其の心を大山にし、 そのこころをたいかいにし、 其の心を大海にし、 へんなくとうなきこころなり。 偏無く党無き心なり。 りょ ...

『典座教訓』(てんぞきょうくん)

典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視され ...



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