「 ただ一つの事に向き合う 」 一覧
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『典座教訓』19、親心は無償の心
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月08日, お, お釈迦様(ブッダ), ただ一つの事に向き合う, 何を基準に物事を見ているか, 典座教訓, 重要な話いわゆるろうしんとは、 いわゆる老心とは、 ふぼのこころなり。たとえば 父母の心なり。たとえば ふぼのいっしをおもうがごとく、 父母の一子を念うがごとく、 さんぼうをそんねんすること 三宝を存念するこ ...
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『典座教訓』7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月27日, し, ただ一つの事に向き合う, 世間の物差しで考えない, 典座教訓このことわりひつぜんなるすら、 この理必然なるすら、 なおいまだめいりょうならざるは、 なお未だ明了ならざるは、 そつにしぎふんぴしてそのやばの 卒に思議紛飛して其の野馬の ごとく、じょうねんほんちし ...
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『典座教訓』4、心を他のことに移さない
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月24日, こ, そのままを理解する, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, 典座教訓じょうこゆうどうのこうし、 上古有道の高士、 おのずからてずからくわしくいたり、 自ら手ずから精しく至り、 これをしゅうすることのごとし。 之を修することこの如し。 こうらいのばんしん、 後来の晩進、 ...
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『典座教訓』2、心が整えば味も整う
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月22日, こ, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, 中国の寺院の様子, 典座教訓, 心を整えるのは難しいことゆえにせぞくのじきづしおよび 所以に世俗の食厨子及び せんぷとうにおなじからざるものか。 饌夫等に同じからざる者か。 さんぞうざいそうのとき、かじつ 山僧在宋の時、暇日 ぜんしごんきゅうとうにしもんす ...
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『典座教訓』(てんぞきょうくん)
1237/01/01 -仏教を本気で学ぶ, 年表
07月21日, 1237年, ただ一つの事に向き合う, て, 仏祖になった人の生き方, 典座教訓, 曹洞宗の出来事, 洞山良价, 潙山霊祐, 道元禅師, 鎌倉時代典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視され ...
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『正法眼蔵随聞記』25、無常迅速なり、生死事大なり
示して云く、無常迅速なり、生死事大なり。しばらく存命の間、業を修し学を好まんには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。 文筆詩歌等その詮なきなり。捨つべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなお ...
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『正法眼蔵随聞記』28、人は世間の人も衆事を兼ね学して
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月03日, ただ一つの事に向き合う, ひ, ひたすら坐禅することの重要性, 天童如浄, 正法眼蔵随聞記夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学していづれも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が ...
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『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月21日, か, そのままを理解する, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, 中国の寺院の様子, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 重要な話一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと ...
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『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月05日, か, ただ一つの事に向き合う, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 心を整えるのは難しいこと, 正法眼蔵随聞記, 重要な話示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに ...
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『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月16日, お釈迦様(ブッダ), こ, ただ一つの事に向き合う, どんな言葉で話せばいいか, 中国の寺院の様子, 余計なものを貯えずに生きる, 宏智正覚, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記, 興聖寺-京都府宇治市夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめら ...
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『正法眼蔵随聞記』92、古人多くは云く光陰虚しく度る事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月05日, こ, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, ひたすら坐禅することの重要性, 他人の評価を気にするのはやめよう, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 重要な話示して云く、古人多くは云く、「光陰虚しく度る事なかれ。」と。あるいは云く、「時光、徒らに過ごす事なかれ。」と。 学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。しばらく存ずる ...
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『正法眼蔵随聞記』62、宋土の海門禅師
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月06日, そ, ただ一つの事に向き合う, 中国の寺院の様子, 正法眼蔵随聞記, 評価されることを望まない一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云う僧ありき。この人、得法悟道の人なり。長老にもこえたり。 有る時、夜、方丈に参じて焼香礼拝して云く、「請うらくは師、後堂首座を許せ。 ...
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『正法眼蔵随聞記』40、故建仁寺僧正の伝をば
夜話に云く、故建仁寺僧正の伝をば顕兼の中納言入道書いたるなり。その時辞する言に云く、「儒者に書かせらるべきなり。その故は、儒者はもとより身を忘れて、幼きより長るまで学問を本とす。故に書いたるものに誤り ...
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『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月19日, か, ただ一つの事に向き合う, 何を基準に物事を見ているか, 教える人の心構え, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。 真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を ...
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『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月27日, そのままを理解する, ただ一つの事に向き合う, ふ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。 昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にあ ...
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『正法眼蔵随聞記』42、我れ在宋の時禅院にして古人の語録を見し時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月17日, ただ一つの事に向き合う, ひたすら坐禅することの重要性, わ, 中国の寺院の様子, 正法眼蔵随聞記一日示して云く、我れ在宋の時、禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧の道者にてありしが、我れに問うて云く、「何の用ぞ。」 云く、「郷里に帰って人を化せん。」 僧云く、「何の用ぞ。」 云く、「利生の ...
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『正法眼蔵随聞記』94、奘問うて云く、叢林の勤学の行履と云うは
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月07日, し, ただ一つの事に向き合う, ひたすら坐禅することの重要性, 正法眼蔵随聞記一日奘問うて云く、「叢林の勤学の行履と云うは如何。」 示して云く、只管打坐なり。あるいは閣上、あるいは桜下にして常坐をいとなむ。人に交わりて物語をせず、聾者の如く瘂者の如くにして常に独坐を好むなり。 ...