【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』28、人は世間の人も衆事を兼ね学して

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学していづれも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が性も拙なし。高広なる仏法の事を、多般を兼ぬれば一事をも成すべからず。一事を専らにせんすら本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努々学人一事を専らにすべし。

奘問うて云く、もし然らば、何事いかなる行か、仏法に専ら好み修すべき。
師云く、機に随い根に随うべしと云えども、今祖席に相伝して専らする処は坐禅なり。この行、能く衆機を兼ね、上中下根等しく修し得べき法なり。

我れ大宋天童先師の会下にしてこの道理を聞いて後、昼夜定坐して極熱極寒には発病しつべしとて諸僧しばらく放下しき。我れその時自ら思わく、たとひ発病して死ぬべくとも、なおただ是れを修すべし。病まずして修せずんば、この身労しても何の用ぞ。病して死なば本意なり。大宋国の善知識の会にて修し死にて、よき僧にさばくられたらん、先ず結縁なり。日本にて死なば是れほどの人々に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。修行していまだ契わざる先に死せば、好き結縁として生を仏家にも受くべし。修行せずして身を久しく持っても詮無きなり。何の用ぞ。況んや身を全くし病おこらずと思うほどに、知らず、また海にも入り、横死にも逢わん時は後悔如何。是の如く案じ続けて、思い切って昼夜端坐せしに、一切に病作らず。

如今各々も一向に思い切って修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。
先師天童の勧め是の如し。

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『正法眼蔵随聞記』

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