【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』化身土巻 - 末08

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 『弁正論』法琳の撰 に曰わく、「十喩九箴篇。答す、李道士、十異九述。

 外の一異に曰わく、「太子老君は、神を玄妙玉女に託して、左腋を割きて生まれたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人に寄せて、右脇を開いて出でたり」と。乃至

 内の一喩に曰わく、「老君は常に逆い、牧女に託きて左より出ず。世尊は化に順いて、聖母に因りて右より出でたまう」と。

 開士の曰わく、「慮景裕・戴詵・韋処玄等が『解五千文』、及び梁元帝・周弘政等が『老義類』を案ずるに云わく、「太上に四有り。謂わく、三皇及び尭舜、是れなり。」言うこころは、上古に此の大徳の君有り。万民の上に臨めり。故に「太上」と云うなり。郭荘云わく、「時に之を賢とする所の者を君とす。材、世に称せられざる者を臣とす。」老子、帝に非ず、皇に非ず。四種の限に在らず。何れの典拠有りてか、輒く「太上」と称するや。道家が『玄妙』、及び『中胎』・『朱韜王礼』等の経、幷びに『出塞記』を撿うるに云わく、「老は是れ李母が生ずる所、玄妙玉女有り」と云わず。既に正説に非ず。尤も仮の謬談なり。『仙人玉録』に云わく、「仙人は妻無し。玉女は夫無し。女形を受けたりと雖も畢竟に産せず。」若し茲の瑞有らば誠に嘉とすべしと曰う。何れぞせん、『史記』にも文無し、『周書』に載せず。虚を求めて実を責めば、矯盲の者の言を信ずるならくのみと。『礼』に云わく、「官を退きて位無きは左遷す。」『論語』に云わく、「左袵は礼に非ざるなり。」若し左を以て右に勝るとせんは、道上行道するに、何ぞ左に旋らずして、右に還りて転るや。国の詔書に皆云わく、「右の如し。」並びに天の常に順うなり。」乃至

 外の四異に曰わく、「老君は、文王の日、隆周の宗師たり。釈迦は、荘王の時、罽賓の教主たり。」

 内の四喩に曰わく、「伯楊は、職、小臣に処り、忝く蔵吏に充たれり。文王の日に在らず。亦、隆周の師に非ず。牟尼は、位、太子に居して、身、特尊を証したまえり。昭王の盛年に当たれり。閻浮の教主たり」と。乃至

 外の六異に曰わく、「老君は、世に降して、始め周文の日より孔丘の時に訖れり。釈迦は、肇めて浄飯の家に下生して、我が荘王の世に当たれり。」

 内の六喩に曰わく、「迦葉は桓王丁卯の歳に生まれて、景王壬午の年に終う。孔丘の時に訖うと雖も姫昌の世に出でず。調御は昭王甲寅の年に誕じて、穆王壬申の歳に終う。是れ浄飯の胤たり。本、荘王の前に出でたまえり。」

 開士曰わく、「孔子、周に至りて老耼を見て礼を問う。焉に『史記』に具に顕る。文王の師たること則ち典証無し。周末に出でたり。其の事、周の初めに尋ぬべし。史文に載せず。」乃至

 外の七異に曰わく、「老君、初めて周の代に生まれて、晩に流沙に適く。始終を測らず、方所を知ること莫し。釈迦は、西国に生まれ、彼の提河に終りぬ。弟子、胸を捉ち、群胡、大きに叫ぶ。」

 内の七喩に曰わく、「老子は頼郷に生まれて槐里に葬らる。秦佚の弔に詳らかんず。責、遁天の形に在り。瞿曇は彼の王宮に出で慈鵠樹に隠れたまう。漢明の世に伝わりて秘かに蘭台の書に在す。」

 開士曰わく、「『荘子』「内篇」に云わく、「老耼死して、秦佚弔う。焉に三たび号んで出ず。弟子、怪しんで問う、「夫子の徒に非ざるか。」秦佚曰わく、「向に吾入りて少者を見るに、之を哭す。其の父を哭するが如く、老者、之を哭す。其の子を哭するが如し。」」古は、之を「遁天の形」と謂う。始めは以為えらく、其の人なり。而るに今、非なり。「遁」は隠なり。「天」は免縛なり。「形」は身なり。言うこころは、始め老子を以て免縛形の仙とす。今則ち非なり。嗟、其の諂れる典、人の情を取る。故らに死を免れず。我が友に非ず」と。乃至

 内の十喩。答す、外の十異。外、生より左右の異、一。内、生より勝劣有り。

 内喩して曰わく、「左袵は則ち戎狄の尊む所、右命は中華の尚む所とす。故に『春秋』に云わく、「冢郷は命無し。介郷は之有り。亦左ならずや。」『史記』に云わく、「藺相如は、功大きにして、位、麁頗が右に在り。之を恥ず。」又云わく、「張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀首相、緯を右にして魏を左にす。」蓋に云わく、便ならずや。『礼』に云わく、「左道乱群をば、之を殺す。」豈に右は優りて左は劣るに非ずや。皇哺謐が『高士伝』に云わく、「老子は楚の相人、温水の陰に家とす。事を常従子に押し。常子、疾有るに及びて、李耳往きて疾を問う。」焉に嵆康の云わく、「李耳、涓子に従いて九仙の術を学ぶ。」撥するに太史に云わく、衆画を等しきが、「老子、左腋を剖いて生まる」と云わず。既に正しく出でたること無し。承信すべからざること明らけし。験らかに知りぬ。戈を揮い翰を操れば、蓋し文武の先、五気・三光は、寔に陰陽の首なり。是を以て釈門には右に転ずること、且た人用を快しくす。張陵、左道にす。逆天の常に信ず。何んとなれば、釈迦、無縁の慈を超えて有機の召に応ず。其の迹を語るなり。」乃至

 「夫れ釈氏は、天上天下に介然として、其の尊に居す。三界六道、卓爾として、其の妙を推す。」乃至

 外論に曰わく、「老君、範と作す、唯孝、唯忠。世を救い人を度す。慈を極め愛を極む。是を以て、声教、永く伝え、百王、改まらず。玄風、長く被らしめて、万古、差うこと無し。所以に国を治め家を治むるに常然たり、楷式たり。釈教は義を棄て親を棄て、仁ならず、孝ならず。闍王、父を殺せる、翻じてとが無しと説く。調達、兄を射て無間に罪を得。此れを以て凡を導く、更に悪を長すことを為す。斯れを用て世に範とする、何ぞ能く善を生ぜんや。此れ逆順の異、十なり。」

 内喩に曰わく、「義は乃ち、道徳、卑しゅうする所、礼は忠信の薄きより生ず。璅仁、匹婦を譏り、大孝は不匱を存す。然うして凶に対かいて歌い咲う。中夏の容に乖す。喪に臨みて盆を扣く、華俗の訓に非ず 原壌母死して、騎棺して譏らず。子桑死するとき、子貢弔う。四子相視て歌う。孔子、時に助けて祭りて咲う。荘子妻死す。盆を扣きて歌うなり。故に之を教うるに孝を以てす。天下の人父たるを敬する所以なり。之を教うるに忠を以てす。天下の人君たるを敬する所以なり。化、万国に周し、乃ち明辟の至るなり。仁、四海に形る。実に聖王の臣、孝なり。仏経に言わく、「識体、六趣に輪回す。父母に非ざる無し。生死変易す。三界、熟か怨親を弁えん。」又言わく、「無明、慧眼を覆う。生死の中に来往す。往来して、之、所作す。更に互いに父子たり。怨親、数しば知識たり。知識、数しば怨親たり。」是を以て、沙門、俗を捨て真に趣く。庶類を天属に均しゅうす。栄を遺てて道に即く。含気を己親に等しゅうす 行、普く正しきの心、等しく普き親の志。且た道は清虚を尚ぶ。爾は恩愛を重くす。法は平等を貴ぶ。爾、怨親を簡わんや、豈に惑に非ずや。勢競、親を遺る。文史明事、斉桓・楚穆、此れ其の流なり。以て聖を訾らんと欲う、豈に謬れるに不ずや。爾、道の劣、十なり。」乃至

 「二皇、化を統べて 『須弥四域経』に云わく、「応声菩薩を伏羲とす、吉祥菩薩を女媧とするなり。」 渟風の初めに居り、三聖、言を立てて 『空寂所問経』に云わく、「迦葉を老子とす、儒童を孔子とす、光浄を顔回とするなり。」 已澆の末を興ず。玄虚沖一の旨、黄老、其の談を盛りにす。詩書礼楽の文、周・孔、其の教を隆くす。謙を明らかにし質を守る、乃ち聖に登るに、之、階梯なり。三畏・五常は人天の由漸とす。蓋し冥に仏理に符う。正弁極談に非ずや。猶、道を瘖聾に謗る、方を麾いて遠邇を窮むること莫かれ。律を菟馬に問う、済るを知りて浅深を測らず。斯れに因りて談ずるに、殷・周の世は、釈教の宜しく行ずるべき所に非ざるなり。猶、炎威、耀を赫かす。童子、目を正しくして視ること能わず。迅雷、奮い撃つ。懦夫、耳を張りて聴くこと能わず。是を以て河池涌き浮かぶ。昭王、神を誕ずることを懼る。雲霓、色を変じ、穆后、聖を亡わんことを欣ぶ 『周書異記』に云わく、「昭王二十四年四月八日、江河・泉水、悉く泛漲せり。穆王五十二年二月十五日、暴風起ちて樹木折れ、天陰り雲黒し。白虹の怪有り。豈に能く葱河を越えて化を稟け、雪嶺を踰えて誠を効さんや。『浄名』(維摩経)に云わく、「是れ盲者遇えり。日月の咎に非ず。」適たま其の鑿竅の弁を窮めんと欲す。恐らくは、吾が子混沌の性を傷む。爾、知る所に非ず。其の盲の一なり。」

 「内には像塔を建造す。指うる二。
 漢明より已下、斉・梁、王・公・守牧、清信士・女、及び比丘・比丘尼等に訖う。冥に至聖を感じ、国に神光を覩る者、凡そ二百余人、迹を万山に見、耀を滬瀆に浮かべ、清台の下に満月の容を覩、雍門の外に相輪の影を観るが如きに至りては、南平は応を瑞像に獲、文宣は夢を聖牙に感ず。蕭后、一たび鋳て剋成し、宗皇、四たび摸して就らず。其の例、甚だ衆し。具に陳ぶべからず。豈に爾が無目を以て彼の有霊を斥わんや。

 然るに、徳として備わらざる者無し、之を謂いて「涅槃」とす。道として通ぜざる者無し、之を名づけて「菩提」とす。智として周からざる者無し、之を称して「仏陀」とす。此の漢語を以て彼の梵言を訳す。則ち彼・此の仏、照然として信ずべきなり。何を以てか之を明かすとならば、夫れ「仏陀」は、漢には「大覚」と言うなり。「菩提」をば、漢には「大道」と言うなり。「涅槃」は、漢には「無為」と言うなり。而るに吾子、終日に菩提の地を践んで大道を知らず。即ち菩提の異号なり。形を大覚の境に稟けて、未だ大覚を閑わず。即ち仏陀の訳名なり。故に荘周公、且た大覚有れば、而後に其の大夢を知るなり。『郭註』に云わく、「覚は聖人なり。」言うこころは、患、懐に在るは皆夢なり。『註』に云わく、「夫子、子淤と未だ言うことを忘れて神解すること能わず。故に大覚に非ざるなり。」君子の曰わく、「孔丘の談、茲に亦尽きぬ。」涅槃寂照、識として識るべからず、智をして智るべからず。則ち言語断じて心行滅す。故に言を忘るるなり。法身は乃ち三点・四徳の成ずる所、粛然として無累なり。故に「解脱」と称す。此れ其の神解として患息するなり。夫子、聖なりと雖も、遙かに以て、功を仏に推れり。何んとなれば、劉向が『古旧二録』を案ずるに云わく、「仏流、中夏を経て、一百五十年の後、老子、方に『五千文』を説けり。」然るに、周と老と、並びに仏経の所説を見る。言教往往たり。験えつべし。」乃至

(化身土巻 - 末 は続く)

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