【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ

投稿日:1235年6月11日 更新日:

示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふ事なかれ。露命のしばらく存ぜる間、ただ仏道を思うて余事を事とする事なかれ。

ある人問うて云く、「名利の二道は捨離し難しと云えども、行道の大なる礙なれば捨てずんばあるべからず。故に是れを捨つ。衣粮の二事は小縁なりと云えども、行者の大事なり。糞掃衣、常乞食、是れは上根の所行、また是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故にその労なし。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶えたり、伝わらず。下根不堪の身、如何がせん。しからば予が如きは、檀那の信施を貪らんとするも虚受の罪随い来る。田商仕工を営むも是れ邪命食なり。ただ天運に任せんとすれば果報また貧道なり。飢寒来らん時、是れを愁として行道を礙つべし。ある人諌めて云く、『汝が行儀はなはだあらじ。時機を顧みざるに似たり。下根なり、末世なり。是のごとく修行せばまた退転の因縁となりぬべし。あるいは一檀那をも相語らい、若しくは一外護をも契って、閑居静所にして一身をたすけて、衣粮に労すること無くして仏道を行ずべし。是れ即ち財物等を貪るにあらず。時の活計を具して修行すべし。』と。この言を聞くと云えどもいまだ信用せず。是の如き用心如何。」

答えて云く、夫れ衲子の行履は仏祖の風流を労すべし。三国殊なりと云えども、真実学道の者いまだ是の如き事あらず。ただ心を世事にいだす事なかれ。一向に道を学すべきなり。
仏言く、「衣鉢の外は寸分も貯えざれ。乞食の余分は、飢えたる衆生に施す。」たとひ受け来るとも寸分も貯うべからず。況んや馳走あらんや。
外典に云く、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」と。たとひ飢え死に寒え死にすとも、一日一時なりとも仏教に随うべし。万千生、幾回か生じ幾回か死せん。皆是れ是の如き世縁妄執なり。今生一度仏制に順って餓死せん、是れ永の安楽なるべし。

いかに況んや未だ一大蔵教の中にも、三国伝来の仏祖あって一人も飢え死に寒え死にしたるを聞かず。世間衣粮の資具は生得の命分なり。求むるに依っても来らず、求めずとも来らざるにもあらず。正に任運として心をおく事なかれ。末法なり、下根なりと云って、今生に心を発さずは何れの生にか得道せん。たとひ空生迦葉の如くにあらずとも、ただ随分に学道すべきなり。

外典に云く、「西施毛嬙にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎緑耳にあらざれども馬を好む者は馬を好む。龍肝豹胎にあらざれども味を好む者は味を好む。」と。ただ随分の賢を用うるのみなり。俗なおこの儀あり。仏家(僧)また是のごとくなるべし。

況んやまた仏二十年の福分を以て未法の我らに施す。是れに因って天下の叢林、人天の供養絶へず。如来神通の福徳自在なる、なお馬麦を食して夏を過ごしましましき。未法の弟子豈是れを慕わざらんや。

問うて云く、破戒にしてし空しく人天の供養を受け、無道心にして徒らに如来の福分を費やさんよりは、在家人に従うて在家の事をなして、命いきて能く修道せん事、如何。

答えて云く、誰か云っし破戒無道心なれと。ただ強いて道心をおこし、仏法を行ずべきなり。いかに況んや持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、斉しく如来の福分を与うとは見えたり。未だ破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見えず。誰人か初めより道心ある。ただ是のごとく発し難きを発し、行じ難きを行ずれば自然に増進するなり。人々皆仏性あるなり。徒らに卑下する事なかれ。
また云く、文選に云く、「一国は一人の為に興り、先賢は後愚の為に廃る」と。文。言う心は、国に賢一人出来らざれば賢の跡廃るとなり。是れを思うべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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