「 何を基準に物事を見ているか 」 一覧
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スッタニパータ - ブッダの言葉
かの尊き師・尊き人、覚った人に礼したてまつる。 【 第1 蛇の章 】 1、蛇 1 蛇の毒が身体のすみずみにひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをとも ...
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「正法眼蔵」道心(どうしん)
2020/09/24 -仏教を本気で学ぶ
と, 何を基準に物事を見ているか, 念仏, 正法眼蔵, 自分の考えを改めるべき場面, 菩提心仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。 よの人は道心ありといへども、まことには道心なき人あり。まことに道心ありて、人にしられざる ...
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「正法眼蔵」生死(しょうじ)
2020/09/24 -仏教を本気で学ぶ
し, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 夾山善会, 定山神英, 正法眼蔵, 自分の考えを改めるべき場面, 身と心が両方いっしょに道を得る生死の中に仏あれば生死なし。又云く、生死の中に仏なければ生死にまどはず。 心は、夾山、定山といはれしふたりの禅師の言葉なり。得道の人の言葉なれば、さだめてむなしくまうけじ。 生死を離れんとおもはん人、 ...
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『典座教訓』19、親心は無償の心
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月08日, お, お釈迦様(ブッダ), ただ一つの事に向き合う, 何を基準に物事を見ているか, 典座教訓, 重要な話いわゆるろうしんとは、 いわゆる老心とは、 ふぼのこころなり。たとえば 父母の心なり。たとえば ふぼのいっしをおもうがごとく、 父母の一子を念うがごとく、 さんぼうをそんねんすること 三宝を存念するこ ...
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『典座教訓』17、ただ自然に変わっていくだけ
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月06日, その時その時を大事にする, た, 何を基準に物事を見ているか, 典座教訓もしことをたっとぶべきものならば、 若し事を貴ぶべき者ならば、 ごどうのことをたっとぶべし。 悟道の事を貴ぶべし。 もしときをたっとぶべきものならば、 若し時を貴ぶべき者ならば、 ごどうのときをたっと ...
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『典座教訓』14、修行は日々の足下にある
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月03日, し, どんな言葉で話せばいいか, 何を基準に物事を見ているか, 典座教訓, 心を整えるのは難しいこと, 物質的に豊かではない事のメリット, 百丈懐海しらずんばあるべからず。 知らずんばあるべからず。 おもうべし 想うべし ふさいよくしょうたいをやしない、 莆菜能く聖胎を養い、 よくどうがをしょうずることを。 能く道芽を長ずることを。 いやしとなす ...
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『典座教訓』5、菜っ葉も伽藍も上下なし
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月25日, な, 何を基準に物事を見ているか, 典座教訓, 自分の考えを改めるべき場面にょほうにとうたし、くわにいれて 如法に洮汰し、鍋に納れて ひをたきはんをむす。いにしえにいわく、 火を燒き飯を蒸す。古に云く 「はんをむすくわじゅうをじじゅうとなし 「飯を蒸す鍋頭を自頭となし こめ ...
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『典座教訓』3、米を洗うことも修行のうち
『ぜんえんしんぎ』にいわく、 『禅苑清規』に云く、 ろくみしょうならず、さんとくたらざ 「六味精ならず、三徳給らざ るは、てんぞのしゅうにぶする るは、典座の衆に奉する しょいにあらず」と。 所以にあ ...
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『正法眼蔵随聞記』8、人法門を問う
1235/06/15 -仏教を本気で学ぶ
04月13日, どんな言葉で話せばいいか, に, 何を基準に物事を見ているか, 孔子, 正法眼蔵随聞記, 藤原頼通一日示して云く、人、法門を問う、あるいは修行の方法を問うことあらば、衲子はすべからく実を以て是れを答うべし。若しくは他の非器を顧み、あるいは初心末入の人意得べからずとて、方便不実を以て答ふべからず。菩 ...
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『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月21日, か, そのままを理解する, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, 中国の寺院の様子, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 重要な話一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと ...
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『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月28日, か, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 徳が外にあらわれるということ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、 ...
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『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月05日, か, ただ一つの事に向き合う, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 心を整えるのは難しいこと, 正法眼蔵随聞記, 重要な話示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに ...
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『正法眼蔵随聞記』96、先師全和尚入宋せんとせし時
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月09日, せ, その時その時を大事にする, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記示して云く、先師全和尚、入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨、重病に沈み、既に死なんとす。 その時この師云く、「我れ既に老病に沈み、死去せんとする事近きにあり。汝一人老病をたすけて、冥路をとぶらうべ ...
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『正法眼蔵随聞記』98、人の心元より善悪なし
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月11日, どんな聞き方をすればいいか, ひ, 人は影響し合う, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 心を整えるのは難しいこと, 正法眼蔵随聞記, 重要な話一日雑話の次に云く、人の心元より善悪なし。善悪は縁に随っておこる。仮令、人発心して山林に入る時は、林家はよし、人間はわるしと覚ゆ。また退心して山林を出る時は、山林はわるしと覚ゆ。是れ即ち決定して心に定 ...
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『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月02日, そ, そのままを理解する, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思う心を、次第に知識の言に随って改めて去くなり。 仮令仏と云うは、我が本知ったるようは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知ったり ...
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『正法眼蔵随聞記』29、人は思い切って命をも捨て
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月04日, ひ, 何を基準に物事を見ているか, 心を整えるのは難しいこと, 正法眼蔵随聞記示して云く、人は思い切って命をも捨て、身肉手足をも斬る事は中々せらるるなり。然れば、世間の事を思い、名利執心の為にも、是のごとく思うなり。ただ依り来る時に触れ、物に随って心品を調うる事難きなり。 学者 ...
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『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月14日, か, そのままを理解する, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に ...
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『正法眼蔵随聞記』54、近代の僧侶
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月29日, き, 世間の物差しで考えない, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記一日請益の次に云く、近代の僧侶、多く世俗に従うべしと云う。思うに然らず。世間の賢すらなお民俗に随う事を穢れたる事と云って、屈原の如きは「皆酔えり。我れは独醒めたり。」とて、民俗に随わずしてついに滄浪に ...
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『正法眼蔵随聞記』77、三覆して後に云え
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月20日, さ, どんな言葉で話せばいいか, 何を基準に物事を見ているか, 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す, 建仁寺-京都府京都市東山区, 栄西禅師, 正法眼蔵随聞記示して云く、「三覆して後に云え。」と云う心は、おおよそ物を云わんとする時も、事を行わんとする時も、必ず三覆して後に言い行うべし。先儒多くは三たび思いかえりみるに、三たびながら善ならば云い行なえと云うな ...
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『正法眼蔵随聞記』79、世間の人多分云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月22日, せ, その時その時を大事にする, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 物事を始めるタイミングまた云く、世間の人多分云く、「学道の志あれども世のすえなり、人くだれり。我が根劣なり。如法の修行に堪うべからず。ただ随分にやすきにつきて結縁を思い、他生に開悟を期すべし。」と。 今は云く、この言う事は ...
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『正法眼蔵随聞記』23、昔、魯の仲連
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
04月28日, む, 何を基準に物事を見ているか, 余計なものを貯えずに生きる, 正法眼蔵随聞記夜話に云く、昔、魯の仲連と云う将軍ありて、平原君が国にあって能く朝敵を平らぐ。平原君賞して数多の金銀等を与えしかば、魯の仲連辞して云く、「ただ将軍の道なれば敵を討つ能を成すのみ。賞を得て物を取らんとに ...
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『正法眼蔵随聞記』26、昔、智覚禅師と云し人
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月01日, む, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記示して云く、昔、智覚禅師と云し人の発心出家の事、この師は初めは官人なり。富に誇るに正直の賢人なり。有る時、国司たりし時、官銭を盗んで施行す。傍の人、是れを官奏す。帝、聴いて大いに驚きあやしむ。諸臣皆あ ...
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『正法眼蔵随聞記』33、もし人来って用事を云う中に
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月08日, も, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 目の前の人のために出来ることをする, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 重要な話, 頼みごとをされた場合の対処方法夜話に云く、もし人来って用事を云う中に、あるいは人に物を乞い、あるいは訴訟等の事をも云わんとて、一通の状をも所望する事出来有るに、その時、我は非人なり、遁世籠居の身なれば、在家等の人に非分の事を謂わん ...
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『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月19日, か, ただ一つの事に向き合う, 何を基準に物事を見ているか, 教える人の心構え, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。 真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を ...
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『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月20日, い, 世間の物差しで考えない, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 分け隔てする心を改める, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思いてん、その事は人よしと思いてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた ...
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『正法眼蔵随聞記』22、故鎌倉の右大将
また物語に云く、故鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有りし時、内府の辺に一日はれの会に出仕の時、一人の不当人在りき。 その時、大納言のおほせて云く、「是れを制すべし。」と。 大将の云く、「六波羅におほせらる ...
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『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月08日, い, 世間の物差しで考えない, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面一日参の次に示して云く、泉大道の云く、「風に向って坐し、日に向って眠る。時の人の錦被たるに勝れり。」と。 この言葉、古人の語なれども少し疑いあり。時の人と云うは、世間貪利の人を云うか。もし然らば、敵対 ...
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『正法眼蔵随聞記』78、善悪と云う事定め難し
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月21日, せ, 世間の物差しで考えない, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記また云く、善悪と云う事定め難し。世間の綾羅錦繍をきたるをよしと云い、麁布糞掃をわるしと云う、仏法には是れをよしとし清しとす。金銀錦綾をわるしとし穢れたりとす。是のごとく一切の事に渡りて皆然り。 予が如 ...
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『正法眼蔵随聞記』20、犯戒と言うは受戒以後の所犯を道うか
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
04月25日, ほ, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記奘問うて云く、犯戒と言うは、受戒以後の所犯を道うか、ただしまた未受以前の罪相をも犯戒と道うべきか。 師答えて云く、犯戒の名は受後の所犯を道うべし。未受以前所作の罪相をばただ罪相、罪業と道って犯戒と道う ...
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『正法眼蔵随聞記』100、俗の野諺に云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月13日, そ, どんな聞き方をすればいいか, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 評価されることを望まない示して云く、俗の野諺に云く、「唖せず聾せざれば家公とならず。」と。云う心は、人の毀謗をきかず、人の不可を云わざればよく我が事を成ずるなり。是のごとくなる人を、家の大人とす。 是れ即ち俗の野諺なりと云え ...
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『法句経』ダンマパダ【 第26章 バラモン 】
0202/05/30 -仏教を本気で学ぶ
04月07日, ば, ダンマパダ, 何を基準に物事を見ているか383 バラモンよ。流れを断って。勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知る者であれ。 384 バラモンが二つの事柄(止と観)について彼岸に達し、完全にな ...
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『法句経』ダンマパダ【 第18章 汚れ 】
0202/05/30 -仏教を本気で学ぶ
03月30日, け, ダンマパダ, 何を基準に物事を見ているか235 あなたはいまや枯葉のようなものである。閻魔王の従卒もまたあなたに近づいた。あなたはいま死出の門路に立っている。しかしあなたには旅の資糧さえも存在しない。 236 だから、自己の拠り所をつくれ。 ...