【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第18章 汚れ 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

235 あなたはいまや枯葉のようなものである。閻魔王の従卒もまたあなたに近づいた。あなたはいま死出の門路に立っている。しかしあなたには旅の資糧さえも存在しない。

236 だから、自己の拠り所をつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、天の尊い処に至るであろう。

237 あなたの生涯は終りに近づいた。あなたは、閻魔王の近くに赴いた。あなたには、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧も存在しない。

238 だから、自己の拠り所をつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、あなたはもはや生と老いとに近づかないであろう。

239 聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、自身の汚れを除くべし、鍛冶工が銀の汚れを除くように。

240 鉄から起こった錆が、それから起こったのに、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分のが罪を犯した人を悪いところ(地獄)に導く。

241 読誦しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家屋が汚れ、身なりを怠るならば容色が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎しむ人が汚れる。

242 不品行は婦女の汚れである。物惜しみは、恵み与える人の汚れである。悪事は、この世においてもかの世においても常に汚れである。

243 この汚れよりもさらに甚だしい汚れがある。無明こそ最大の汚れである。修行僧らよ。この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。

244 恥を知らず、烏のように厚かましく、図々しく、人を責め、大胆で、心の汚れた者は、生活し易い。

245 恥を知り、常に清きを求め、執著をはなたれ、つつしみ深く、真理を見て清く暮らす者は、生活し難い。

246 247 生きものを殺し、虚言を語り、世間において与えられないものを取り、他人の妻を犯し、穀酒・果実酒に夢中になって判断力を失する人は、この世において自分の根本を掘り崩す人である。

248 人よ。このように知れ、慎みがないのは悪いことである。貪りと不正とのゆえにあなたが長く苦しみを受けることのないように。

249 人は、信ずるところに従って、清き喜びに従って、施しをなす。だから、他人のくれた食物や飲料に満足しない人は、昼も夜も心の安らぎを得ない。

250 もし人がこの不満の思いを絶ち、根だやしにしたならば、彼は昼も夜も心の安らぎを得る。

251 情欲に等しい火は存在しない。不利な骰(さい)の目を投げたとしても、怒りに等しい不運は存在しない。迷妄に等しい網は存在しない。妄執に等しい河は存在しない。

252 他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見難い。人は他人の過失をもみ殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。ずる賢い賭博師が不利な骰の目を隠してしまうように。

253 他人の過失を探し求め、常に怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。彼は煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。

254 虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、道の人ではない。人々は汚れの現れを楽しむが、修行完成者は汚れの現れをたのしまない。

255 虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、道の人ではない。造り出された現象が常住であることは有り得ない。真理を悟った人々(ブッダ)は、動揺することがない。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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