【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第17章 怒り 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。

222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人、彼を我は御者(ぎょしゃ/馬車に乗って馬を操る人)とよぶ。他の人はただ手綱を手にしているだけである。(御者とよぶには相応しくない。)

223 怒らないことによって怒りに打ち勝て。善いことによって悪いことに打ち勝て。分かち合うことによって物惜しみに打ち勝て。真実によって虚言の人に打ち勝て。

224 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しい中から与えよ。これらの三つの事によって死後には天の神々のもとに至り得るであろう。

225 生きものを殺すことなく、常に身をつつしんでいる聖者は、不死の境地に赴く。そこに至れば、憂えることがない。

226 人が常に目ざめていて、昼も夜もつとめ学び、ニルヴァーナを得ようと目指しているならば、諸々の汚れは消え失せる。

227 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。

228 ただそしられるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。

229 もしも心ある人が日に日に考察して、「この人は賢明であり、行ないに欠点がなく、知慧と徳行とを身に備えている」といって称讃するならば、

230 その人を誰が非難し得るだろうか?彼はジャンブーナダ河から得られる黄金でつくった金貨のようなものである。神々も彼を称讃する。梵天でさえも彼を称讃する。

231 身体がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。身体について慎んでおれ。身体による悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行なえ。

232 言葉がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。言葉について慎んでおれ。語による悪い行ないを捨てて、語によって善行を行なえ。

233 心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。心について慎んでおれ。心による悪い行ないを捨てて、心によって善行を行なえ。

234 落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、言葉をつつしみ、心をつつしむ。このように彼らは実によく己れをまもっている。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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