【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第23章 象 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

320 戦場の象が、射られた矢に当たっても堪え忍ぶように、我は人のそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いからである。

321 馴らされた象は、戦場にも連れて行かれ、王の乗り物ともなる。世のそしりを忍び、自らをおさめた者は、人々の中にあっても最上の者である。

322 馴らされたラバは良い。インダス河のほとりの血統よき馬も良い。クンジャラという名の大きな象も良い。しかし自己を整えた人はそれらよりもすぐれている。

323 何となれば、これらの乗り物によっては未到の地(ニルヴァーナ)に行くことはできない。そこへは、慎しみある人が、自らをよく整えて赴く。

324 「財を守る者」という名の象は、発情期にこめかみから液汁をしたたらせて強暴になっている時、いかんとも制し難い。捕らえられると、一口の食物も食べない。象は象の林を慕っている。

325 大食いをして、眠りを好み、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、繰り返し母胎に入って迷いの生存を続ける。

326 この心は、以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう、象使いが鉤(かぎ)をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるように。

327 つとめ励むのを楽しめ。おのれの心を護れ。自己を難処から救い出せ。泥沼に落ち込んだ象のように。

328 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことが出来るならば、あらゆる危険困難に打ち克って、心喜び、おもいを落ちつけて、ともに歩め。

329 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことが出来ないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。

330 愚かな者を道伴れとするな。独りで行く方がよい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。林の中にいる象のように。

331 事がおこった時に、友だちのあるのは楽しい。大きかろうとも、小さかろうとも、どんなことにでも満足するのは楽しい。善いことをしておけば、命の終る時に楽しい。悪いことをしなかったので、あらゆる苦しみの報いを除くことは楽しい。

332 世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世に修行者を敬うことは楽しい。世にバラモンを敬うことは楽しい。

333 老いた日に至るまで戒しめを保つことは楽しい。信仰が確立していることは楽しい。明らかな知慧を体得することは楽しい。諸々の悪事をなさないことは楽しい。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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