【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第22章 地獄 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

306 いつわりを語る人、あるいは自分でしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、この両者は死後には等しくなる、来世では行ないの下劣なをもった人々なのであるから。

307 袈裟を頭からまとっていても、性質が悪く、つつしみのない者が多い。彼ら悪人は、悪い振る舞いによって、悪いところに(地獄)に生まれる。

308 戒律を守らず、みずから慎むことがないのに国の信徒の施しを受けるよりは、火炎のように熱した鉄丸を食らう方がましだ。

309 放逸で他人の妻になれ近づく者は、四つの事がらに遭遇する。すなわち、禍をまねき、臥して楽しからず、第三に非難を受け、第四に地獄に墜ちる。

310 禍をまねき、悪しきところ(地獄)に墜ち、相ともにおびえた男女の愉楽はすくなく、王は重罰を課する。それ故に人は他人の妻になれ近づくな。

311 茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行僧の行も、誤って行うと、地獄に引きずりおろす。

312 その行ないがだらしなく、身のいましめが乱れ、清らかな行ないなるものも怪しげであるならば、大きな果報はやって来ない。

313 もしも為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断固として実行せよ。行ないの乱れた修行者はいっそう多く塵をまき散らす。

314 悪いことをするよりは、何もしない方がよい。悪いことをすれば、後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをする方がよい。なし終わって、後で悔いがない。

315 辺境にある、城壁に囲まれた都市が内も外も守られているように、そのように自己を守れ。瞬時も空しく過ごすな。時を空しく過した人々は地獄に墜ちて、苦しみ悩む。

316 恥じなくてよいことを恥じ、恥ずべきことを恥じない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)に赴く。

317 恐れなくてもよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)に赴く。

318 避けねばならぬことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ(必ず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)に赴く。

319 遠ざけるべきこと(罪)を遠ざけるべきであると知り、遠ざけてはならぬ(必らず為さねばならぬ)ことを遠ざけてはならぬと考える人々は、正しい見解をいだいて、善いところ(天上)に赴く。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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