【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第21章 様々なこと 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

290 つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることが出来るのなら、心ある人は広大な楽しみを望んで、つまらぬ快楽を捨てよ。

291 他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は、怨みの絆にまつわれて、怨みから免れることが出来ない。

292 為すべきことをなおざりにし、為すべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには汚れが増す。

293 常に身体の本性を思い続けて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけてみずから気を付けている人々には諸々の汚れがなくなる。

294 妄愛という母と我ありという慢心である父とを滅ぼし、永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という二人の武家の王を滅ぼし、主観的機官と客観的対象と合わせて十二の領域である国土と喜び貪りという従臣とを滅ぼして、バラモンは汚れなしに赴く。

295 妄愛という母とわれありという慢心である父とを滅ぼし、永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という二人の、学問を誇るバラモン王を滅ぼし、第五には疑いという虎を滅ぼして、バラモンは汚れなしに赴く。

296 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。

297 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に法を念じている。

298 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者の集い)を念じている。

299 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体の真相を念じている。

300 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も不傷害を楽しんでいる。

301 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。

302 出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい。在家の生活も困難であり、家に住むのも難しい。心を同じくしない人々と共に住むのも難しい。修行僧が何かを求めて旅に出て行くと、苦しみに遇う。だから旅に出るな。また苦しみに遇うな。

303 信仰あり、徳行そなわり、名声と繁栄を受けている人は、いかなる地方におもむこうとも、そこで尊ばれる。

304 善き人々は遠くにいても輝く、雪を頂く高山のように。
善からぬ人々は近くにいても見えない、夜陰に放たれた矢のように。

305 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、我が身を整えて、林のなかでひとり楽しめ。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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