「 そのままを理解する 」 一覧
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『典座教訓』12、学問も修行も天地のいのちに気付くこと
どうねん7がつ、 同年七月、 さんぞうてんどうにかしゃくす。 山僧天童に掛錫す。 ときにかのてんぞきたってしょうけんして 時に彼の典座来得て相見して いわく、「かいげりょうにてんぞをたいし 云く、「解 ...
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『典座教訓』4、心を他のことに移さない
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月24日, こ, そのままを理解する, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, 典座教訓じょうこゆうどうのこうし、 上古有道の高士、 おのずからてずからくわしくいたり、 自ら手ずから精しく至り、 これをしゅうすることのごとし。 之を修することこの如し。 こうらいのばんしん、 後来の晩進、 ...
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『典座教訓』3、米を洗うことも修行のうち
『ぜんえんしんぎ』にいわく、 『禅苑清規』に云く、 ろくみしょうならず、さんとくたらざ 「六味精ならず、三徳給らざ るは、てんぞのしゅうにぶする るは、典座の衆に奉する しょいにあらず」と。 所以にあ ...
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『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月21日, か, そのままを理解する, その時その時を大事にする, ただ一つの事に向き合う, 中国の寺院の様子, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 重要な話一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと ...
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『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月14日, そのままを理解する, た, 分け隔てする心を改める, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話示して云く、大慧禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。 信心銘に云く、「至道かたき ...
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『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月02日, そ, そのままを理解する, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思う心を、次第に知識の言に随って改めて去くなり。 仮令仏と云うは、我が本知ったるようは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知ったり ...
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『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月14日, か, そのままを理解する, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に ...
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『正法眼蔵随聞記』55、治世の法は上天子より
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月30日, し, そのままを理解する, その時その時を大事にする, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面一日示して云く、治世の法は、上天子より下庶民に至るまで各皆その官に居する者、その業を修す。その人にあらずしてその官をするを乱天の事と云う。政道天意に叶う時、世清み民康すきなり。故に帝は三更の三点におさ ...
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『正法眼蔵随聞記』74、学道の人、悟りを得ざる事は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月17日, か, そのままを理解する, 世間の物差しで考えない, 悟り, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面学道の人、悟りを得ざる事は、即ち古見を存ずる故なり。本より誰教えたりとも知らざれども、心と云えば念慮知見なりと思い、草木なりと云えば信ぜず。仏と云えば相好光明あらんずると思うて、瓦礫と説けば耳を驚かす ...
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『正法眼蔵随聞記』64、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月08日, そのままを理解する, どんな言葉で話せばいいか, の, 余計なものを貯えずに生きる, 正法眼蔵随聞記また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。 第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩えを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵許も衆生利益の為ならずと云う事無し。その故は ...
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『正法眼蔵随聞記』69、学道の人自解を執する事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月13日, か, そのままを理解する, 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す, 南陽慧忠, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面一日参学の次、示して云く、学道の人、自解を執する事なかれ。たとひ所会ありとも、もしまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もやあらんと思うて、ひろく知識をも訪い、先人の言をも尋ぬべきなり。ま ...
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『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
06月27日, そのままを理解する, ただ一つの事に向き合う, ふ, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てる, 自分の考えを改めるべき場面一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。 昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にあ ...
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『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月28日, そのままを理解する, た, 中国の寺院の様子, 分け隔てする心を改める, 南嶽懐譲, 正法眼蔵随聞記, 物質的に豊かではない事のメリット, 馬祖道一一夜示して云く、大宋の禅院に麦米等をそろえて 、あしきをさけ、よきをとって飯等にする事あり。 是れをある禅師云く、「たとひ我が頭を打ち破る事七分にすとも、米をそろうる事なかれ。」と、頌に作って戒めたり ...
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『正法眼蔵随聞記』102、春秋に云く
示して云く、春秋に云く、「石の堅き、是れをわれどもその堅きを奪うべからず。丹のあかき、是れをわれどもそのあかき事を奪うべからず。」と。 玄沙因に僧問う、「如何なるか是れ堅固法身。」沙云く、「膿滴々地。 ...
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『法句経』ダンマパダ【 第22章 地獄 】
306 いつわりを語る人、あるいは自分でしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、この両者は死後には等しくなる、来世では行ないの下劣な業をもった人々なのであるから。 307 袈裟を頭からまとっ ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】11、勝利
193 あるいは歩み、あるいは立ち、あるいは坐り、あるいは臥し、身を屈め、あるいは伸ばす、これは身体の動作である。 194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、あ ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】14、ダンミカ
わたくしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、ダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者と共に師のおら ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ
0202/05/28 -仏教を本気で学ぶ
02月04日, う, そのままを理解する, コーサラ国, ジャーヌッソーニ・バラモン, スッタニパータ, タールッカ・バラモン, チャンキン・バラモン, トーデーヤ・バラモン, バーラドヴァージャ青年, ポッカラサーティ・バラモン, ヴァーセッタ青年, 自分の考えを改めるべき場面, 重要な話わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国にあるイッチャーナンガラ村のイッチャーナンガラ林に住んでおられた。その時、多くの著名な大富豪であるバラモンたちがイッチャーナンガラ村 ...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】6、老い
804 ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。 805 人々は「我がものである」と執著したもののために悲しむ。自己の所有しているもの ...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】15、武器を執ること
935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれをいとい離れたその衝撃を宣べよう。 936 水の少ないところにいる魚のように、人々がふ ...