「 そのままを理解する 」 一覧

『典座教訓』12、学問も修行も天地のいのちに気付くこと

どうねん7がつ、 同年七月、 さんぞうてんどうにかしゃくす。 山僧天童に掛錫す。 ときにかのてんぞきたってしょうけんして 時に彼の典座来得て相見して いわく、「かいげりょうにてんぞをたいし 云く、「解 ...

『典座教訓』4、心を他のことに移さない

じょうこゆうどうのこうし、 上古有道の高士、 おのずからてずからくわしくいたり、 自ら手ずから精しく至り、 これをしゅうすることのごとし。 之を修することこの如し。 こうらいのばんしん、 後来の晩進、 ...

『典座教訓』3、米を洗うことも修行のうち

『ぜんえんしんぎ』にいわく、 『禅苑清規』に云く、 ろくみしょうならず、さんとくたらざ 「六味精ならず、三徳給らざ るは、てんぞのしゅうにぶする るは、典座の衆に奉する しょいにあらず」と。 所以にあ ...

『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて

一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと ...

『正法眼蔵随聞記』101、大慧禅師の云く

示して云く、大慧禅師の云く、「学道はすべからく人の千万貫銭をおえらんが、一文をも持たざらん時、せめられん時の心の如くすべし。もしこの心あらば、道を得る事やすし。」と云えり。 信心銘に云く、「至道かたき ...

『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実

夜話に云く、祖席に禅話を覚り得る故実は、我が本より知り思う心を、次第に知識の言に随って改めて去くなり。 仮令仏と云うは、我が本知ったるようは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知ったり ...

『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり

夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に ...

『正法眼蔵随聞記』55、治世の法は上天子より

一日示して云く、治世の法は、上天子より下庶民に至るまで各皆その官に居する者、その業を修す。その人にあらずしてその官をするを乱天の事と云う。政道天意に叶う時、世清み民康すきなり。故に帝は三更の三点におさ ...

『正法眼蔵随聞記』74、学道の人、悟りを得ざる事は

学道の人、悟りを得ざる事は、即ち古見を存ずる故なり。本より誰教えたりとも知らざれども、心と云えば念慮知見なりと思い、草木なりと云えば信ぜず。仏と云えば相好光明あらんずると思うて、瓦礫と説けば耳を驚かす ...

『正法眼蔵随聞記』64、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし

また云く、衲子の用心、仏祖の行履を守るべし。 第一には財宝を貪るべからず。如来慈悲深重なる事、喩えを以て推量するに、彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵許も衆生利益の為ならずと云う事無し。その故は ...

『正法眼蔵随聞記』69、学道の人自解を執する事なかれ

一日参学の次、示して云く、学道の人、自解を執する事なかれ。たとひ所会ありとも、もしまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もやあらんと思うて、ひろく知識をも訪い、先人の言をも尋ぬべきなり。ま ...

『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ

一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。 昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にあ ...

『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて

一夜示して云く、大宋の禅院に麦米等をそろえて 、あしきをさけ、よきをとって飯等にする事あり。 是れをある禅師云く、「たとひ我が頭を打ち破る事七分にすとも、米をそろうる事なかれ。」と、頌に作って戒めたり ...

『正法眼蔵随聞記』102、春秋に云く

示して云く、春秋に云く、「石の堅き、是れをわれどもその堅きを奪うべからず。丹のあかき、是れをわれどもそのあかき事を奪うべからず。」と。 玄沙因に僧問う、「如何なるか是れ堅固法身。」沙云く、「膿滴々地。 ...

『法句経』ダンマパダ【 第22章 地獄 】

306 いつわりを語る人、あるいは自分でしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、この両者は死後には等しくなる、来世では行ないの下劣な業をもった人々なのであるから。 307 袈裟を頭からまとっ ...

スッタニパータ【第1 蛇の章】11、勝利

193 あるいは歩み、あるいは立ち、あるいは坐り、あるいは臥し、身を屈め、あるいは伸ばす、これは身体の動作である。 194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、あ ...

スッタニパータ【第2 小なる章】14、ダンミカ

 わたくしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、ダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者と共に師のおら ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ

わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国にあるイッチャーナンガラ村のイッチャーナンガラ林に住んでおられた。その時、多くの著名な大富豪であるバラモンたちがイッチャーナンガラ村 ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】6、老い

804 ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。 805 人々は「我がものである」と執著したもののために悲しむ。自己の所有しているもの ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】15、武器を執ること

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれをいとい離れたその衝撃を宣べよう。 936 水の少ないところにいる魚のように、人々がふ ...



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