「 世間の物差しで考えない 」 一覧

『典座教訓』18、自然のまま喜びの心で引き受ける

おおよそもろもろのちじちょうしゅ、 凡そ諸の知事頭首、 およびとうしょく、さじさむのじせつ、 及び当職、作事作務の時節、 きしん、ろうしん、だいしんをほじすべ 喜心、老心、大心を保持すべ きものなり。 ...

『典座教訓』13、まず心をこめて行ずること

まことにそれとうしき、 誠に夫れ当職、 せんもんげんしょう、 先聞現証、 めにありみみにあり。 眼に在り耳に在り。 もじありどうりあり。 文字有り道理有り。 しょうてきというべきか。たとい 正的と謂う ...

『典座教訓』12、学問も修行も天地のいのちに気付くこと

どうねん7がつ、 同年七月、 さんぞうてんどうにかしゃくす。 山僧天童に掛錫す。 ときにかのてんぞきたってしょうけんして 時に彼の典座来得て相見して いわく、「かいげりょうにてんぞをたいし 云く、「解 ...

『典座教訓』10、他人のしたことは自分のしたことにならない

さんぞうてんどうにありしとき、 山僧天童に在りし時、 ほんぷのようてんぞしょくにみてりき。 本府の用典座職に充てりき。 よちなみにさいまかんでとうろうをすぎ 予因みに斎罷んで東廊を過ぎ ちょうねんさい ...

『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること

せしゅいんにいって 施主院に入って ざいをしゃしさいをもうけば、 財を捨し斎を設けば、 またまさにもろもろのちじ また当に諸の知事 いっとうにしょうりょうすべし。 一等に商量すべし。 これそうりんのき ...

『典座教訓』7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し

このことわりひつぜんなるすら、 この理必然なるすら、 なおいまだめいりょうならざるは、 なお未だ明了ならざるは、 そつにしぎふんぴしてそのやばの 卒に思議紛飛して其の野馬の ごとく、じょうねんほんちし ...

『正法眼蔵随聞記』104、古人の云く百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし

示して云く、古人の云く、「百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし。」と。この心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なお手足をはなちて即ち身心を放下せんが如し。 是れについて重々の事あり。 今の世の人、世をのがれ家 ...

『正法眼蔵随聞記』51、父母の報恩等の事

夜話の次に奘問うて云く、父母の報恩等の事、作すべきか。 示して云く、孝順はもっとも用うる所なり。ただし、その孝順に在家出家の別あり。在家は孝経等の説を守りて生をつかう。死につかうる事、世人皆知れり。出 ...

『正法眼蔵随聞記』54、近代の僧侶

一日請益の次に云く、近代の僧侶、多く世俗に従うべしと云う。思うに然らず。世間の賢すらなお民俗に随う事を穢れたる事と云って、屈原の如きは「皆酔えり。我れは独醒めたり。」とて、民俗に随わずしてついに滄浪に ...

『正法眼蔵随聞記』67、学道の人多分云く

また云く、学道の人、多分云く、もしその事をなさば世人是れを謗ぜんかと。この条甚だ非なり。世間の人何とも謗ずとも、仏祖の行履、聖教の道理にてだにもあらば依行すべし。世人挙って褒るとも、聖教の道理にあらず ...

『正法眼蔵随聞記』74、学道の人、悟りを得ざる事は

学道の人、悟りを得ざる事は、即ち古見を存ずる故なり。本より誰教えたりとも知らざれども、心と云えば念慮知見なりと思い、草木なりと云えば信ぜず。仏と云えば相好光明あらんずると思うて、瓦礫と説けば耳を驚かす ...

『正法眼蔵随聞記』105、衣食の事兼ねてより思いあてがふ事なかれ

示して云く、衣食の事、兼ねてより思いあてがう事なかれ。 もし失食絶煙の時、その処にして乞食せん、その人に用事云わんなんど思いたるも、即ち物をたくわえ、邪食にて有るなり。衲子は雲の如く定まれる住処もなく ...

『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は

夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思いてん、その事は人よしと思いてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた ...

『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く

一日参の次に示して云く、泉大道の云く、「風に向って坐し、日に向って眠る。時の人の錦被たるに勝れり。」と。 この言葉、古人の語なれども少し疑いあり。時の人と云うは、世間貪利の人を云うか。もし然らば、敵対 ...

『正法眼蔵随聞記』78、善悪と云う事定め難し

また云く、善悪と云う事定め難し。世間の綾羅錦繍をきたるをよしと云い、麁布糞掃をわるしと云う、仏法には是れをよしとし清しとす。金銀錦綾をわるしとし穢れたりとす。是のごとく一切の事に渡りて皆然り。 予が如 ...

『正法眼蔵随聞記』93、学道はすべからく吾我を離るべし

一日示して云く、学道はすべからく吾我を離るべし。たとひ千経万論を学し得たりとも、我執を離れずは終に魔坑に落つ。古人云く、「仏法の身心なくは、いづくんぞ仏となり祖とならん。」と。 我を離ると云うは、我が ...

『法句経』ダンマパダ【 第13章 世の中 】

167 下劣な仕方になじむな。怠けてふわふわと暮らすな。邪な見解をいだくな。世俗のわずらいを増やすな。 168 奮起てよ。怠けてはならぬ。善い行いのことわりを実行せよ。ことわりに従って行なう人は、この ...

『法句経』ダンマパダ【 第8章 千という数にちなんで 】

100 無益な語句を千たび語るよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞く方がすぐれている。 101 無益な語句よりなる詩が千あっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方がすぐれている。 102 無益に語 ...

スッタニパータ【第1 蛇の章】2、ダニヤ

18 牛飼いダニヤが言った、 「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは妻子と共に住んでいます。我が小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望 ...

スッタニパータ【第2 小なる章】2、なまぐさ

239 「稷・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しい仕方で得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。 240 よく炊かれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯 ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】12、二種の観察

 わたしが聞いたところによると、ある時、尊師は、サーヴァッティー郊外の東園にあるミガーラ長者の母の宮殿の内にとどまっておられた。その時、尊師(ブッダ)はその定期的集会(布薩)の日、十五日、満月の夜に、 ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】14、迅速

915 問うていわく「太陽の裔である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れることと平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中のものを執することなく、安らいに入るのですか?」 ...



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