【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思いてん、その事は人よしと思いてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた全く非なり。世間の人、必ずしも善とする事あたはず。人はいかにも思わば思え、狂人とも云え、我が心に仏道に順じたらばなし、仏法にあらずは行ぜずして一期をもすごさば、世間の人はいかに思うとも、苦しかるべからず。

遁世と云うは、世人の情を心にかけざるなり。ただ仏祖の行履、菩薩の慈行を学行して、諸天善神の冥にてらす処に慚愧して、仏制に任せて行じもてゆかば、一切苦しかるまじきなり。

さればとてまた、人のあししと思い云わん、苦しからずとて、放逸にして悪事を行じて人をはじずあるは、是れまた非なり。ただ人目にはよらずして、一向に仏法によりて行ずべきなり。仏法の中にはまた、しかのごとくの放逸無慚をば制するなり。

また云く、世俗の礼にも、人の見ざる処、あるいは暗き室の中なれども、衣服等をもきかうる時、坐臥する時にも、放逸に陰処なんどをも蔵さず無礼なるをば天に慚じず鬼にも慚じずとてそしるなり。等しく人の見る時と同じく、蔵すべき処をも隠し、慚づべき処をもはづるなり。仏法の中にもまた戒律かくのごとし。しかあれば、道者は内外を論ぜず明暗を択ばず、仏制を心に存して、人の見ず知らざればとて、悪事を行ずべからざるなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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