【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。

昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にありき。官軍も二心有らんかと疑いき。高祖ももし母を思うて敵国へ去る事もやあらんずらん、もし去るならば軍やぶるべしとあやぶむ。
ここに母も、我が子もし我れ故に二心もやあらんずらんと思うて、いましめて云く、「我れによりて我が国に来る事なかれ。割れによりて軍の忠をゆるくする事なかれ。割れもし生きたらば汝もし二心もこそあらん。」と云って、剣に身をなげてうせしかば、その子、もとより二心なかりしかば、その軍に忠節を至す志深かりけると云う。

況んや衲子の仏道を行ずる、必ず二心なき時、真に仏道にかなうべし。仏道には、慈悲智恵もとよりそなわれる人もあり。たとひ無けれども、学すれば得るなり。ただ身心を倶に放下して、三宝の海に廻向して、仏法の教えに任せて私曲を存ずる事なかれ。

漢の高祖の時、ある賢臣の云く、「政道の理乱は縄の結ぼほれるを解くが如し。急にすべからず。能々結び目を見て解くべし。」と。
仏道も是の如し。能々道理を心得て行ずべきなり。法門をよく心得る人は、必ず道心ある人のよく心得るなり。いかに利智聡明なる人も、無道心にして吾我をも離れず、名利をも捨て得ざる人は、道者ともならず、正理をも心得ぬなり。

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『正法眼蔵随聞記』

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