【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』21、悪口を以て僧を呵嘖し

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、悪口を以て僧を呵嘖し、毀呰する事なかれ。悪人不当なりと云うとも、左右なく悪毀る事なかれ。先ずいかにわるしと云うとも、四人已上集会しずべければ、僧の躰にて国の重宝なり。最も帰敬すべき者なり。住持長老にてもあれ、若しくは師匠知識にてもあれ、不当ならば慈悲心老婆心にてよく教訓し誘引すべきなり。その時たとい打つべきをば打ち、呵嘖すべきをば呵嘖すとも、毀呰謗言の心を起こすべからず。

先師天童浄和尚住持の時、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを警むるに履を以て是れを打ち謗言呵嘖せしかども、僧皆打たるるを喜び、讃歎しき。

ある時、また上堂の次でには、常に云く、「我れ已に老後の今は、衆を辞し、庵に住して老を扶けて居るべけれども、衆の知識として各々の迷いを破り、道を助けんがために住持人たり。是れに因ってあるいは呵嘖の言を出し、竹箆打擲等の事を行ず。是れ頗る怖れあり。然れども、仏に代って化儀を揚ぐる式なり。諸兄弟、慈悲をもて是れを許し給へ。」と言えば、衆僧皆流涕しき。

是の如き心を以てこそ、衆をも接し化をも宣ぶべけれ。住持長老なればとてみだりに衆を領じ、我が物に思うて可嘖するは非なり。況んやその人にあらずして人の短を謂い、他の非を謗るは非なり。能々用心すべきなり。

他の非を見て、悪しと思うて、慈悲を以てせんと思わば、腹立つまじきやうに方便して、傍の事を言うやうにてこしらうべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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