「 教える人の心構え 」 一覧

『正法眼蔵随聞記』18、広学博覧はかなうべからざる事なり

示して云く、広学博覧はかなうべからざる事なり。一向に思い切って、留まるべし。ただ一事について用心故実をも習い、先達の行履をも尋ねて、一行を専ら励みて、人師先達の気色すまじきなり。 ⇒ 続きを読む ⇒  ...

『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する ...

『正法眼蔵随聞記』80、俗人の云く城を傾くる事は

示して云く、俗人の云く、「城を傾くる事は、うちにささやき事出来るによる。」 また云く、「家に両言有る時は針をも買ふ事なし。家に両言無き時は金をも買うべし。」と。 俗人なお家をもち城を守るに同心ならでは ...

『正法眼蔵随聞記』21、悪口を以て僧を呵嘖し

夜話に云く、悪口を以て僧を呵嘖し、毀呰する事なかれ。悪人不当なりと云うとも、左右なく悪毀る事なかれ。先ずいかにわるしと云うとも、四人已上集会しずべければ、僧の躰にて国の重宝なり。最も帰敬すべき者なり。 ...

『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり

夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。 真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を ...

『正法眼蔵随聞記』88、僧問うて云く、智者の無道心なると

一日僧問うて云く、「智者の無道心なると、無智の有道心なると、始終如何。」 示して云く、無智の道心、始終退する事多し。智慧ある人、無道心なれどもついに道心をおこすなり。当世現証是れ多し。しかあれば、先ず ...

『正法眼蔵随聞記』90、ふるく云く、君子の力は牛に勝れたり

示して云く、ふるく云く、「君子の力は牛に勝れたり。しかれども、牛とあらそわず。」と。 今の学人、我れ智恵を学人に勝れて存ずとも、人と諍論を好む事なかれ。また悪口をもて人を云い、怒目をもて人を見る事なか ...

『法句経』ダンマパダ【 第12章 自己 】

157 もしも人が自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は、夜の三つの区分の内の一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。 158 先ず自分を正しく整え、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な ...

スッタニパータ【第2 小なる章】8、船

316 人がもしも他人から習って理法を知るならば、その人を敬うことは、あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくに為すべきである。学識の深いその師は、尊敬されれば、その人に対して心からよろこんで ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ

 わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)は王舎城の竹園林にあるリス飼養の所に住んでおられた。その時遍歴の行者サビヤに、昔の血縁者であるが今は神となっている一人の神が質問を発した、「サビ ...



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