【仏教用語/人物集 索引】

『法句経』ダンマパダ【 第12章 自己 】

投稿日:0202年5月30日 更新日:

157 もしも人が自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は、夜の三つの区分の内の一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。

158 先ず自分を正しく整え、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。

159 他人に教える通りに、自分でも行なえ。自分をよく整えた人こそ、他人を整え得るであろう。自己は実に制し難い。

160 自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?自己をよく整えたならば、得難き主を得る。

161 自分がつくり、自分から生じ、自分から起こった悪が知慧悪しき人を打ちくだく。金剛石が宝石を打ちくだくように。

162 極めて性の悪い人は、仇敵が彼の不幸を望む通りのことを、自分に対して為す。ツル草が沙羅の木にまといつくように。

163 善からぬこと、自身のためにならぬことは、為し易い。ためになること、善いことは、実に極めて為し難い。

164 愚かにも、悪い見解にもとづいて、真理に従って生きる真人・聖者たちの教えを罵るならば、その人は悪い報いが熟する。カッタカという草は果実が熟すると自分自身が滅びてしまうように。

165 みずから悪を為すならば、みずから汚れ、みずから悪を為さないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自の事柄である。人は他人を浄めることが出来ない。

166 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、自分ではない他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『ダンマパダ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの真理の言葉 感興の言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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