【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり

投稿日:1235年6月11日 更新日:

夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。
真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を聞かんと、真の心を以て問わんには、怨心を忘れて為に是れを説くべきなり。その外は、教家の顕密及び内外の典籍等の事、知ったる気色して全く無用なり。人来って是の如き事を問うに、知らずと答えたらんに一切苦しかるべからざるなり。それを、物知らぬはわろしと人も思い、愚人と自らも覚ゆる事を傷れで、物を知らんとて博く内外典を学し、剰え世間世俗の事をも知らんと思うて、諸事を好み学し、あるいは人にも知ったる由をもてなす、極めたる僻事なり。学道のために真実に無用なり。知ったるを知らざる気色するも六借し、やうがましければ、かえりてたうと気色にてあしきなり。もとより知らざらん、一の事なり。

我れ幼少の昔、紀伝等を好み学して、其れが今も入宋伝法するまでも、内外の書籍を開き、方語を通ずるまでも、大切の用事、また世間のためにも尋常なり。俗なんども尋常の事に思いたる、かたがた用事にてあれども、今つらつら思うに学道の碍にてあるなり。ただ聖教を見るとも、文に見ゆる所の理を次第に心得てゆかば、その道理を得つべきなり。然るに先ず文章を見、対句韻声なんどを見て、よきぞあしきぞと心に思うて、後に理をば心得るなり。然れば中々知らずして、初めより道理を心えて行かばよかべきを、先ず文章に対句韵声なんどを見て、よき、あしきぞと心に思うて、後に理をば見るなり。然らばなかなか知らずして、はじめより道理を心得てゆかばよかるべきなり。法語等を書くも文章におほせて書かんとし、韵声たがえば挂られなんどするは、知ったる咎なり。語言文章はいかにもあれ、思うままの理をつぶつぶと書きたらば、後来も文章わろしと思うとも、理だにも聞こえたらば、道のためには大切なり。余の才学も是の如し。

伝へ聞く故高野の空阿弥陀仏は、元は顕密の碩徳なりき。遁世の後、念仏の門に入って後、真言師ありて来って密宗の法門を問いけるに、彼の人答えて云く、「皆忘れおわりぬ。一事もおぼえず。」とて答えられざりけるなり。

是れらこそ道心の手本となるべけれ。などか少々覚えでもあるべき。しかあれども、無用なる事をば云わざりけるなり。一向念仏の日はさこそ有るべけれと覚ゆるなり。今の学者もこの心あるべし。たとひ元教家の才学等ありとも、皆忘れたらん、よき事なり。況んや今学する事、努々あるべからず。宗門の語録等、なお真実参学の道者は見るべからず。その余は是れを知るべし。

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『正法眼蔵随聞記』

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