【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第三十祖。鑑智大師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第三十祖。鑑智大師。参二十九祖。問曰。弟子身纒風恙。請和尚懺罪。祖曰。将罪来。与汝懺。師良久曰。覓罪不可得。祖曰。我与めに汝の懺罪竟。宜依仏法僧住。

【機縁】

師者不知何許人也。初以白衣謁二祖。歳四十余也。不言名氏。聿来設礼。而問祖曰。弟子纒身風恙乃至宜依仏法僧住。師曰。今見和尚已知是僧。未審何名仏法。祖曰。是心是仏。是心是法。法仏無二。僧宝亦然。師曰。今日始て知。罪性不在内。不在外。不在中間。如其心然。仏法無二也。祖深器之。即為剃髮曰。是吾宝也。宜名僧璨。其年三月十八日。於光福寺受具。自茲疾漸愈。執侍経二載。祖乃告曰。達磨大師竺乾よりこの土にきたりて。衣法共に吾附。吾又汝附。又曰。汝已雖得法。しばらく深山に入りて行化すべからず。当有国難。師曰。師既預知。願垂示誨。祖曰。非吾知也。斯乃達磨伝般若多羅懸記曰。心中雖吉外頭凶是也。吾校年代正在于汝。当諦思前言勿罹世難。然しより皖公山にかくれて十歳余をへたり。すなはち周の武帝仏法を廢せしときなり。是によりて司空山往来し。居するに無常処。かたちまた変易す。かくのごとくして沙弥道信を接して。のちにつげていはく。先師われに伝通してよりのち。鄴都にゆきて三十年をへたり。今吾得汝。何滯此乎。即適羅浮山後還旧址。士民奔趨大設檀供。師四衆のためにひろく宣心要訖。於法会大樹下合掌終。その語信心銘等を録して。いまに流伝しきたる。後ちに鑑智大師の号をおくる。

【拈提】

その最初参見のとき。身風恙にまつはるといふは癩病なり。しかれども祖師に参見せしに。業病たちまちに消除せし因縁別の樣子なし。罪性不可得なることを了知し。心法本清浄なることを学悟す。これによりて仏法に二つなしときき。心法如然なりといふ。実に本来心を識得せんとき。なほ死此生彼差異なし。なにいはんや。罪悪善根の弁別あらんや。これによりて四大五蘊ついに不存せ。皮肉骨髄もとより解脱す。故に風恙の病消除し。本来の心現前す。終に第参の祖位につらなる。法要をひろく説くに曰く。至道無難唯嫌揀擇といふより。言語道断非古来今と説く。実にこれ内外なく。中間なし。なにをかゑらび。なにをかすてん。とることもゑず。すつることもゑず。すでに憎愛なく。洞然明白なり。時として缺たるところなく。物として余る法なし。雖然如是。子細に参徹して不可得のところを得来。不思議のきはにいたりもてゆく。断滅にをなじふすることなく。木石にひとしきことなく。よく空をたたひてひびきをなし。電をつなひでかたちをなし。沒蹤跡のところに。子細に眼を著け。更に蔵身することなくんばよし。もし恁麼ならば。他はこれ目前の法にあらず。耳目の所到にあらずといふとも。一絲毫の礙滯なく見得し。一微塵の異路なく了得すべし。且くいかんが弁別し。此の因縁に著語することをゑん。

【頒古】

性空無内外。罪福不留蹤。心仏本如是。法僧自曉聡。

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