【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第三十一祖。大医禅師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第三十一祖。大医禅師。礼鑑智大師曰。願和尚慈悲乞与解脱法門。祖曰。誰縛汝。師曰。無人縛。祖曰。何更求解脱乎。師於言下大悟。

【機縁】

師諱道信。姓司馬氏。世居河内。後徒於蘄州之広濟縣。師生而超異也。幼慕空宗諸解脱門。宛如宿習。年始十四参参祖大師曰。願和尚慈悲乃至師於言下大悟。服労九載。後於吉州に受戒侍奉尤謹。祖屡試以玄微。知其縁熟乃附衣法。師続祖風。攝心無寐。脇不至席者。僅六十年。隋大業十参載領徒衆抵吉州。値郡盜圍城七旬不解。万衆惶怖。師愍之教令念摩訶般若。時賊衆望雉堞間。若有神兵。乃相謂曰。城内必有異人。不可攻。稍稍引去。唐武徳甲申歳。師却返蘄。春住破頭山。学侶雲臻。一日。黄梅路上親接弘忍。牛頭頂上横出一枝。時貞観癸卯年。太宗皇帝。嚮師道味欲瞻風彩。詔赴京。師上表遜謝。前後三返終以疾辞。第四度命使曰。如果不起即取首来。使至山諭旨。師引頚就刃。神色儼然使異之迴以状聞。帝弥如歎慕。就賜珍繒。以遂其志。迄高宗永徴辛亥歳閏九月四日。忽垂誡門人曰。一切諸法。悉皆解脱。汝等各自護念流化未来。言訖安坐而逝。寿七十有二。塔于本山。明年四月八日。塔戸無故自開。儀相如生。爾後門人不敢復閉。後賜号大医禅師。

【拈提】

まさに諸師の行状いづれも勝劣なしといへども。幼より空宗をしたふ。あだかも宿習のごとしといへとも。一期王臣にちかづかず。弁道修練して。一志不退なり。最初解脱の法門を宣説し。あまつさへ死期に解脱の法門をひらき。遂に生死の縛することなきことをしらしむ。実にそれ千歳の一遇。超絶の異人なり。空門の修練もとより解脱の法門と号す。所以者何。生仏なを汝を縛することなし。更に何の生死のあひあづかるべきかあらん。然れば身心をもて論量すべきにあらず。迷悟をもて弁別すべきにあらず。説心説境。煩悩菩提と説くとも。悉くこれ自の異名なり。故に山河隔なく。依正別異なし。これによりて寒時寒殺闍黎。熱時熱殺闍黎なり。更に此の関を一超する時。又這箇の道理にあらず。いはゆる無縛無解。無彼無此。故二箇箇名を立せず。物物形を分たず。故功勳を及尽す。あに偏正にかかはらんや。当堂遂に正坐の分なし。縦横両頭の機にとどまることなかれ。若し恁麼に見得すれば。なほ解脱の名をもちゐず。あに繋縛の事をいとはんや。然も汝実に光明あり。是を見三界といふ。汝が舌余味あり。是を調六味と名く。故に処処放光し。時時調饍す。味来るとも。滋味なきところにふかき滋味あり。見来り見去るとも。色塵なきところに真色あり。故に王臣にちかづくべきなく。身心の坐臥すべきなし。もしよく這箇の田地にいたりえば。四祖大師すなはちこれ汝諸人。なんじ諸人まさに四祖大師ならん。これ悉皆解脱門なるにあらずや。これ流化未来なるにあらずや。無縫塔戸窓。忽然としてひらけ来る。平生の相貎雍容としてあらはれもちきたる。しばらく今日又卑頌あり。適来の因縁を指注せんとおもふ。大衆要聞麼。

【頒古】

心空浄智無邪正。箇裏不知縛脱何。縦別五蘊及四大。見聞声色終非他。

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