【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」古仏心(こぶつしん)

投稿日:1243年4月29日 更新日:

祖宗の嗣法するところ、七仏より曹渓にいたるまで四十祖なり。曹渓より七仏にいたるまで四十仏なり。七仏ともに向上向下の功徳あるがゆゑに、曹渓にいたり七仏にいたる。曹渓に向上向下の功徳あるがゆゑに、七仏より祖々正伝し、曹渓より祖々正伝し、後仏に正伝す。

ただ前後のみにあらず、釈迦牟尼仏のとき、十方諸仏あり。青原のとき南嶽あり、南嶽のとき青原あり。乃至石頭のとき江西あり。あひ罣礙せざるは不礙にあらざるべし。かくのごとくの功徳あること、参究すべきなり。

向来の四十位の仏祖、ともにこれ古仏なりといへども、心あり身あり、光明あり国土あり、過去久矣あり、未曽過去あり。たとひ未曽過去なりとも、たとひ過去久矣なりとも、おなじくこれ古仏の功徳なるべし。古仏祖の道を参学するは、古仏祖の道を証するなり。代々の古仏なり。いはゆる古仏は、新古の古に一斉なりといへども、さらに古今を超出せり、古今に正直なり。

先師
曰く、与宏智古仏相見(宏智古仏と相見す)。

はかりしりぬ、天童の屋裏に古仏あり、古仏の屋裏に天童あることを。

圜悟禅師曰く、稽首曹渓真古仏(稽首す、曹渓真の古仏)。

しるべし、釈迦牟尼仏より第三十三世はこれ古仏なりと稽首すべきなり。圜悟禅師に古仏の荘厳光明あるゆゑに、古仏と相見しきたるに、恁麼の礼拝あり。しかあればすなはち、曹渓の頭正尾正を草料して、古仏はかくのごとくの巴鼻なることをしるべきなり。この巴鼻あるは、この古仏なり。

疎山曰く、大庾嶺頭有古仏、放光射到此間(大庾嶺頭に古仏有り、放光此間に射到す)。

しるべし、疎山すでに古仏と相見すといふことを。ほかに参尋すべからず。古仏の有処は、大庾嶺頭なり。古仏にあらざる自己は古仏の出処をしるべからず。古仏の在処をしるは古仏なるべし。

雪峰いはく、趙州古仏。

しるべし、趙州たとひ古仏なりとも、雪峰もし古仏の力量を分奉せられざらんは、古仏に奉覲する骨法を了達しがたからん。いまの行履は、古仏の加被によりて、古仏に参学するには、不答話の功夫あり。いはゆる雪峰老漢、大丈夫なり。古仏祖の家風および古仏の威儀は、古仏にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり。しかあれば、趙州の初中後善を参学して、古仏の寿量を参学すべし。

西京光宅寺大証国師は、曹渓の法嗣なり。人帝天帝、おなじく恭敬尊重するところなり。まことに神丹国に見聞まれなるところなり。四代の帝師なるのみにあらず、皇帝てづからみづから車をひきて参内せしむ。いはんやまた帝釈宮のをえて、はるかに上天す。天衆のなかにして、帝釈のために説法す。

国師因僧問、如何是古仏心(如何にあらんか是れ古仏心)。

師云、牆壁瓦礫。

いはゆる問処は、這頭得恁麼といひ、那頭得恁麼といふなり。この道得を挙して問処とせるなり。この問処、ひろく古今の道得となれり。

このゆゑに、花開の万木百草、これ古仏祖の道得なり、古仏の問処なり。世界起の九山八海、これ古仏の日面月面なり、古仏の皮肉骨髓なり。さらに又古心の行仏なるあるべし、古心の証仏なるあるべし、古心の作仏なるあるべし。仏古の為心なるあるべし。

古心といふは、心古なるがゆゑなり。心仏はかならず古なるべきがゆゑに、古心は椅子竹木なり。尽大地覓一箇会仏法人不可得(尽大地、一箇の仏法を会する人を覓むるに不可得)なり、和尚喚這箇作甚麼(和尚這箇を喚んで甚麼とか作ん)なり。いまの時節因縁および塵刹虚空、ともに古心にあらずといふことなし。古心を保任する、古仏を保任する、一面目にして両頭保任なり、両頭画図なり。

師いはく、牆壁瓦礫。

いはゆる宗旨は、牆壁瓦礫にむかひて道取する一進あり、牆壁瓦礫なり。道出する一途あり、牆壁瓦礫の牆壁瓦礫の許裏に道著する一退あり。これらの道取の現成するところの円成十成に、千仭万仭の壁立せり、迊地迊天の牆立あり、一片半片の瓦蓋あり、乃大乃小の礫尖あり。かくのごとくあるは、ただ心のみにあらず、すなはちこれ身なり、乃至依正なるべし。

しかあれば、作麼生是牆壁瓦礫と問取すべし、道取すべし。答話せんには、古仏心と答取すべし。かくのごとく保任してのちに、さらに参究すべし。いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段をか具足せると、審細に参究すべし。

造作より牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。造作か、造作にあらざるか。有情なりとやせん、無情なりや。現前すや、不現前なりや。かくのごとく功夫参学して、たとひ天上人間にもあれ、此土他界の出現なりとも、古仏心は牆壁瓦礫なり、さらに一塵の出頭して染汚する、いまだあらざるなり。

漸源仲興大師、因僧問、如何是古仏心(如何なるか是れ古仏心)。
師云く、世界崩壊(世界崩壊す)。
僧曰く、為甚麼世界崩壊(甚麼としてか世界崩壊なる)。
師云く、寧無我身(寧ろ我身無からん)。

いはゆる世界は、十方みな仏世界なり。非仏世界いまだあらざるなり。崩壊の形段は、この尽十方界に参学すべし、自己に学することなかれ。自己に参学せざるゆゑに、崩壊の当恁麼時は、一条両条、三四五条なるがゆゑに無尽条なり。かの条々、それ寧無我身なり。我身は寧無なり。而今を自惜して、我身を古仏心ならしめざることなかれ。

まことに七仏以前に古仏心壁豎す、七仏以後に古仏心才生す、諸仏以前に古仏心花開す、諸仏以後に古仏心結果す、古仏心以前に古仏心脱落なり。

正法眼蔵古仏心第九

爾時寛元元年癸卯四月二十九日在六波羅蜜寺示衆
寛元二年甲辰五月十二日在越州吉峰庵下侍司書写 懐奘

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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