【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第三十二祖。大満禅師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第三十二祖。大満禅師。於黄梅路上逢参十一祖。祖問曰。汝何姓。師曰。性即有。不是常姓。祖曰。是何姓。師曰。是仏性。祖曰。汝無姓耶。師曰。性空故無。祖黙識其法器。伝附法衣。

【機縁】

師者蘄州黄梅縣之人也。先為破頭山栽松道者。嘗請於四祖曰。法道可得聞乎。祖曰。汝已老矣。若得聞夫能広化耶。若再来吾尚可遲汝。即去。往水辺而見一女子洗衣。揖曰。寄宿得否。女曰。吾有父兄。可往求之。曰諾我即敢行。女首肯。遂回策而去。女周氏季子也帰輒孕。父母大悪んでこれをおふ。女無所帰。日傭紡里中。夕宿衆舘之下。終生一子。以不祥而捨濁港中。遡流体無濡。神物護持七日不損。いはゆる神物といふは。昼は二羽の鳥ありて。羽をならべてこれをおほふ。夜るは二疋のいぬありて。ひざを屈してこれを守る。氣体鮮明にして。六根かぐることなし。母これをみて奇異なりとして鞠養す。長となるにおよんで。母と共に乞食す。人呼て無姓兒といふ。ひとりの智者ありて曰く。此の子七種の相をかぎて如来におよばず。後に黄梅路上遇四祖出遊。四祖此童子骨相奇秀。異乎常童問曰。汝何姓乃至祖黙識其法器。侍者をもて母に請て出家せしむ。時に七歳なり。すなはち受衣得度し。伝法出家せしより。十二時中一時も不礙蒲団日夜あらず。余務かぐことなしといへども。かくのごとく坐し来る。終に上元二年示徒曰。吾事すでにおはりぬ。すなはちゆくべしといひて坐化す。

【拈提】

父にうけず。祖にうけず。仏につがず。祖につがずして姓あり。これを仏性といふ。夫参禅学道は。もとこれ根本に達し。心性を廓明せんがためなり。もし根本にいたらざれば。徒に生し。徒に死して。己にまよひ他にまよふ。いはゆる本性といふは。汝等諸人死死生生。たとひ面面形異にすとも。時時刻刻悉く了了智を具せずといふことなし。いはゆる今日の因縁をもてしるべし。昔し栽松道者法道を請して。いま七歳の童子として衣法を伝るにいたるまで。必ず生によりて心変ずるにあらず。形によりて性の改ることあらんや。宏智禅師忍大師の真讃に曰く。前後両身今古一心と。両身すでにかはれりといへども。古今別心なし。しるべし従無量劫来只恁麼なることを。もしよく此の本性体達せば。この性もとより四姓をもて弁ずべきにあらず。四姓これ同性なるが故に。水性如是ゆへに。すなはち四姓出家すれば同釈氏と称す。その差異なきことをしらしむ。実にこれ吾も不隔。汝も不隔。わづかに自他の面目を帯する。恰も前後身のごとし。かくのごとく弁別し。心をあきらめうることなふして。みだりに自己目前を称し。自身他身を分つ。これによりてものことに情執し。時と共に。迷惑す。然も一度這箇の田地をあきらめゑば。たとひ形をかへ生を転ずるとも。なんぞ己を妨げ。心を変ずることあらんや。今の道者と童子とをもてしるべし。すでに父なふして生ず。知るべし人必ず父母の血脈を受て。生ぜざることを。然ればすなはちすてに情執の所見。身体髮膚。父母にうくといへども。この身すなはち五蘊にあらずとしるべし。この身如是と会せば。すべてわれとともなふものなく。片時もをのれに異なる時なからん。故に古人曰。一切衆生従無量劫来。不出法性三昧。かくのごとく体得し。如く是の踐得せば。早く四祖と相見し。五祖と齊肩なることをゑん。和漢のへだてなく。古今の別なからん。しばらく作麼生か指注して。この道理に相応することをゑんや。

【頒古】

月明水潔秋天浄。豈有片雲点大清。

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