【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第2 小なる章】8、船

投稿日:0202年5月28日 更新日:

316 人がもしも他人から習って理法を知るならば、その人を敬うことは、あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくに為すべきである。学識の深いその師は、尊敬されれば、その人に対して心からよろこんで、真理を顕示する。

317 思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して、理法にしたがった教えを順次に実践し、このような人に親しんで怠ることがないならば、識者・弁え知る者・聡明なる者となる。

318 未だ事柄を理解せず、嫉妬心のある、くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば、ここで真理(理法)を弁え知ることなく、疑いを超えないで、死に至る。

319 あたかも人が水かさが多く流れのはやい河に入ったならば、彼は流れに運ばれ、流れに沿って過ぎ去るようなものである。彼はどうして他人を渡すことが出来るであろうか。

320 それと同じく、真理(理法)を弁え知らず、学識の深い人に事柄の意義を聞かないならば、みずから知らず、疑いを超えていない人が、どうして他人の心を動かすことが出来るであろうか。

321 堅牢な船に乗り、カイとカジとを具えているならば、操縦法を知った巧みな経験者は、他の多くの人々をそれに乗せて渡すように、

322 それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ、自己を修養し、多く学び、動揺しない師は、実にみずから知っているので、傾聴しそばに坐ろうという気持を起した他の人々の心を動かす。

323 それ故に、実に聡明にして学識の深い立派な人に親しめ。物事を知って実践しつつ、真理を理解した人は、安楽を得るであろう。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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