【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

投稿日:1235年6月11日 更新日:

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、我が心を存ずる事なく、成し難き事なりとも仏法につかわれて強いて是れをなし、我が心になしたき事なりとも、仏法の道理に為すべからざる事ならば放下すべきなり。あなかしこ、仏道修行の功をもて代わりに善果を得んと思う事なかれ。ただ一たび仏道に廻向しつる上は、二たび自己をかえりみず、仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存ずる事なかれ。先証皆是の如し。心に願いて求むる事なければ即ち大安楽なり。

世間の人にまじわらず、己が家ばかりにて生長したる人は、心のままに振る舞い、おのれが心を先として人目を知らず、人の心をかねざる人、必ずあしきなり。学道の用心も是のごとし。衆にまじわり、師に随いて我見を立せず、心をあらため行けば、たやすく道者となるなり。

学道は先ずすべからく貧を学すべし。なお利を捨てて一切へつらう事なく、万事なげすつれば、必ずよき僧となるなり。大宋によき僧と人にも知られたる人は、皆貧道なり。衣服もやつれ、諸縁ともしきなり。

往日天童山の書記道如上座と云いし人は、官人宰相の子なりしかれども、親族にもむつびず、世利をも貪らざりしかば、衣服のやつれ、破壊したる、目もあてられざりしかども、道徳人に知られて、大寺の書記ともなりしなり。
予、かの人に問うて云く、「和尚は官人の子息、富貴の孫なり。何ぞ身に近づくるもの皆下品にして貧道なる。」
これ答えて云く、「僧となれればなり。」

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『正法眼蔵随聞記』

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