【仏教用語/人物集 索引】

『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて

投稿日:1235年6月11日 更新日:

一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと聞こえたり。もし故実用心の存ずべきようありや、如何。」

示して云く、しかあり。有智高才を須いず霊利弁聡に頼らず。実の学道あやまりて盲聾癡人のごとくになれとすすむ。全く多聞高才を用いざるが故に下々劣器ときらうべからず。実の学道はやすかるべきなり。

しかあれども、大宋国の叢林にも、一師の会下に数百千人の中に、実の得道得法の人はわずか一二なり。しかあれば、故実用心もあるべき事なり。今これを案ずるに、志の至ると至らざるとなり。真実志を至して随分に参学する人、また得ずと云う事なきなり。その用心のよう、何事を専らにし、その行を急にすべしと云う事は次の事なり。

先ず欣求の志の切なるべきなり。たとえば重き宝をぬすまんと思い、強き敵をうたんと思い、高き色にあわんと思う心あらん人は、行住坐臥、事にふれおりにしたがいて、種々の事はかわり来れども、それに随いて隙を求め、心に懸くるなり。この心あながちに切なるもの、とげずと云う事なきなり。是の如く道を求むる志切になりなば、あるいは只管打坐の時、あるいは古人の公案に向かわん時、もしくは知識に向かわん時、実の志をもてなさんずる時、高くとも射つべく、深くとも釣りぬべし。是れほどの心発さずして、仏道と云うほどの一念に生死の輪廻をきる大事をば如何が成ぜん。

もしこの心あらん人は、下知劣根をも云わず、愚癡悪人をも謂わず、必ず悟道すべきなり。
またこの志を発さば、ただ世間の無常を思うべきなり。この言またただ仮令に観法なんどにすべき事にあらず。また無き事を造って思うべき事にもあらず。真実に眼前の道理なり。人のおしむ聖教の文証道理を待つべからず。朝に生じて夕に死し、咋目見し人今目無き事、眼に遮り耳に近し。是れは他の上にて見聞きする事なり。我が身にひきあてて道理を思う事を。たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、遂に死ぬべき道理有らば、その間の楽しみ悲しみ、恩愛怨敵を、思いとけばいかにてもすごしてん。ただ仏道を思うて衆生の楽を求むべし。況んや我れ年長大せる人、半ばに過ぎぬる人、余年幾なれば学道ゆるくすべき。

この道理もなおのびたる事なり。世間の事をも仏道の事をも思え。明日、次の時よりも、いかなる重病をも受けて、東西も弁ぜず、重苦の身かなしみ、またいかなる鬼神の怨害をも受けて頓死をもし、いかなる賊難にも逢い、怨敵も出来って殺害奪命せらるる事もやあらん、真実に不定なり。

然れば、これほどにあだなる世に、極めて不定なる死期を、いつまで生きたるべしとて種々の活計を案じ、剰え他人のために悪をたくみ思うて、徒らに時光を過ごす事、極めて愚かなる事なり。

この道理真実なれば、仏も是れを衆生の為に説き、祖師の普説法語にもこの道理をのみ説く。今の上堂請益等にも、無常迅速、生死事大を云うなり。返々もこの道理を心に忘れずして、ただ今日今時ばかりと思うて、時光を失わず学道に心を入るべきなり。その後真実に易きなり。性の上下、根の利鈍、全く論ずべからず。

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『正法眼蔵随聞記』

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