【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】5、学生メッタグーの質問

投稿日:0202年5月28日 更新日:

1049 メッタグーさんがたずねた、
「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

1050 師(ブッタ)は答えた、
メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得た通りに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」

1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることあり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(執著)をつくってはならない。」

1052 「我らがあなたにおたずねしましたことを、あなたは我らに説き明かして下さいました。あなたに他のことをおたずねしますが、どうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り越えるのでしょうか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かして下さい。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」

1053 が答えた、
メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。その理法を知って、よく気を付けて行い、世間の執著を乗り越えよ。」

1054 偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気を付けて行い、世間の執著を乗り越えるでしょう。」

1055 が答えた、
メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気付いてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態の内にとどまるな。

1056 このようにして、よく気を付け、怠ることなく行う修行者は、我がものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」

1057 「偉大な仙人の言葉を聞いて、わたくしは喜びます。ゴータマブッダ)さま。煩悩の要素のない境地がよく説き明かされました。確かに先生は苦しみを捨てられたのです。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのです。

1058 聖者さま。あなたが懇切に教え導かれた人々もまた今や苦しみを捨てるでしょう。
竜よ。では、わたくしは、あなたの近くに来て礼拝しましょう。先生!どうか、わたくしをも懇切に教え導いてください。」

1059 「何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、彼は確かにこの煩悩の激流を渡った。彼は彼岸に達して、心の荒びなく、疑惑もない。

1060 またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『彼は生と老衰とを乗り越えた』とわたくしは説く。」

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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