凡そ諸の知事頭首、及び当職、作事作務の時節、喜心、老心、大心を保持すべきものなり。いわゆる、喜心とは、喜悦の心なり。想ふべし、我れ若し天上に生ぜば、楽に著して間無し。発心すべからず。修行未だ便ならず。何に況んや三宝供養の食を作すべけんや。万法の中、最尊貴なる者は、三宝なり、最上勝の者は、三宝なり。天帝も喩うるに非ず。輪王も比せず。
『清規』に云く、「世間の尊貴、物外の優間、清浄無為なるは、衆僧を最と為す。」と。今吾れ幸に人間に生れて、この三宝受用の食を作ること、豈大因縁に非ざらんや。尤も以て悦喜すべき者なり。又想ふべし、我若し地獄、餓鬼、畜生、修羅等の趣に生れ、又自余の八難処に生れば、僧力の覆身を求むること有りと雖も、手ずから自ら供養三宝の淨食を作すべからず。其の苦器に依って、苦を受け身心を縛すればなり。今生既に之を作す。悦ぶべきの生なり。悦ぶべきの身なり。曠大劫の良縁なり。朽つべからざるの功徳なり。
願くは万生千生を以て、一日一時に摂し、之を弁ずべく之を作すべし。能く千万生の身をして良縁を結ばしめんが為なり。この如き観達の心。乃ち喜心なり。誠に夫れ縦い転輪聖王の身と作るも、供養三宝の食を作るに非ざれば、終に其の益無し。唯是れ水沫泡燄の質なり。
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1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし
6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない
11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事
16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない
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