【仏教用語/人物集 索引】

『典座教訓』18、自然のまま喜びの心で引き受ける

投稿日:1237年8月13日 更新日:

おおよそもろもろのちじちょうしゅ、
凡そ諸の知事頭首、

およびとうしょく、さじさむのじせつ、
及び当職、作事作務の時節、

きしん、ろうしん、だいしんをほじすべ
喜心、老心、大心を保持すべ

きものなり。いわゆる、
きものなり。いわゆる、

きしんとは、きえつのこころなり、
喜心とは、喜悦の心なり。

おもうべし、われもしてんじょうに
想ふべし、我れ若し天上に

しょうぜば、らくにあらわしてひまなし。
生ぜば、楽に著して間無し。

ほっしんすべからず。しゅぎょういまだ
発心すべからず。修行未だ

びんならず。いかにいわんや
便ならず。何に況んや

さんぼうくようのじきをなすべけんや。
三宝供養の食を作すべけんや

まんぽうのなか、
万法の中、

さいそんきなるものは、さんぼうなり、
最尊貴なる者は、三宝なり、

さいじょうしょうのものはさんぼうなり。
最上勝の者は、三宝なり。

てんていもたとうるにあらず。
天帝も喩うるに非ず。

りんおうもひせず。
輪王も比せず。

『しんぎに』いわく、
『清規』に云く、

「せけんのそんき、もつげのゆうかん、
「世間の尊貴、物外の優間、

しょうじょうむいなるは、
清浄無為なるは、

しゅそうをさいとなす。」と。
衆僧を最と為す。」と。

いまわれさいわいににんげんにうまれて、
今吾れ幸に人間に生れて、

このさんぼうじゅゆうのじきをつくること
この三宝受用の食を作ること

あにだいいんねんにあらざらんや。
豈大因縁に非ざらんや。

もっとももってえつきすべきものなり。
尤も以て悦喜すべき者なり。

またおもうべし、われもしじごく、
又想うべし、我若し地獄、

がき、ちくしょう、しゅらとうのしゅに
餓鬼、畜生、修羅等の趣に

うまれ、またじよのはちなんしょに
生れ、又自余の八難処に

うまれば、そうりょくのぶしんを
生れば、僧力の覆身を

もとむることありといえども、
求むること有りと雖も、

てずからおのずからくようさんぼうの
手ずから自ら供養三宝の

じょうじきをなすべからず。
淨食を作すべからず。

そのくうつわによって、
其の苦器に依って、

くをうけしんじんをばくすればなり。
苦を受け身心を縛すればなり

こんじょうすでにこれをなす。
今生既に之を作す。

よろこぶべきしょうなり。
悦ぶべき生なり。

よろこぶべきみなり。
悦ぶべき身なり。

こうだいこうのりょうえんなり。
曠大の良縁なり。

くつべからざるくどくなり。
朽つべからざる功徳なり。

ねがわくはまんしょうせんしょうをもって
願くは万生千生を以て、

いちにちいちじにせっし、
一日一時に摂し、

これをべんずべくこれをなすべし。
之を弁ずべく之を作すべし。

よくせんまんしょうのみをして
能く千万生の身をして

りょうえんをむすばしめんがためなり。
良縁を結ばしめんが為なり。

このごときかんたつのこころ。
この如き観達の心。

すなわちきしんなり。
乃ち喜心なり。

まことにそれたとい
誠に夫れ縦い

てんりんせいおうのみとなるも、
転輪聖王の身と作るも、

くようさんぼうのじきをつくるにあらざ
供養三宝の食を作るに非ざ

れば、ついにそのえきなし。
れば、終に其の益無し。

ただこれすいまつほうえんのしつなり。
唯是れ水沫泡燄の質なり。

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