いわゆる、老心とは、父母の心なり。譬えば父母の一子を念うがごとく、三宝を存念すること一子を念うが如くせよ。貧者窮者、強に一子を愛育す。其の志如何。外人識らず、父と作り母と作って方に之を識る。自身の貧富を顧みず、偏えに吾が子の長大ならんことを念う。自の寒きを顧みず、自の熱きを顧みず、子を蔭い子を覆う。以て親念切々の至りと為す。
其の心を発すの人能く之を識る、其の心に慣うの人方に之を覚る者なり。然あれば乃ち水を看穀を看るに、皆子を養うの慈懇を存すべき者か。大師釋尊、猶お二十年の仏寿を分って、末世の吾等を蔭いたもう。其の意如何。唯父母の心を垂るるのみ。如来全く果を求むべからず、また富を求むべからず。
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1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし
6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない
11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事
16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない
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