【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」出家功徳(しゅっけくどく)

投稿日:1310年8月6日 更新日:

龍樹菩薩言、
問曰、若居家戒、得生天上、得菩薩道、亦得涅槃。復何用出家戒(問うて曰く、居家戒の若きは、天上に生ずることを得、菩薩の道を得、亦た涅槃を得。復た何ぞ出家戒を用ゐんや)。

答曰、雖倶得度、然有難易。居家生業、種々事務。若欲専心道法家業則廃、若専修家業道事則廃。不取不捨、能応行法、是名為難。若出家、離俗絶諸忿乱、一向専心行道為易(答へて曰く、倶に得度すと雖も、然も難易有り。居家は生業、種々の事務あり。若し道法に専心せんと欲へば、家業則ち廃す、若し家業を専修すれば道事則ち廃す。取せずせずして能く応に法を行ずべし、是れを名づけて難と為す。若し出家なれば、俗を離れて諸の忿乱を絶し、一向専心に行道するを易と為す)。

復次居家、鬧多事多務。結使之根、衆罪之府、是為甚難。若出家者、譬若有人出在空野無人之処、而一其心、無心無慮。内想除、外事亦去。如偈説(復た次に居家は、鬧にして多事多務なり。結使の根、衆罪の府なり、是れを甚難と為す。出家の若きは、譬へば、人有りて、出でて空野無人の処に在りて、其の心を一にして、心無く慮無きが若し。内想に除こほり、外事亦た去りぬ。偈に説くが如し)。

閑坐林樹間、寂然滅衆悪(林樹の間に閑坐すれば、寂然として衆悪を滅す)、
恬澹得一心、斯楽非天楽(恬澹として一心を得たり、斯の楽は天の楽に非ず)。
人求富貴利、名衣好床褥(人は富貴の利、名衣、好床褥を求む)、
斯楽非安穏、求利無厭足(斯の楽は安穏に非ず、利を求むれば厭足無し)。
衲衣行乞食、動止心常一(衲衣にして乞食を行ずれば、動止、心、常に一なり)、
自以智慧眼、観知法実(自ら智慧の眼を以て、諸法の実を観知す)。
種々法門中、皆以等観入(種々の法門の中に、皆な以て等しく観入す)、
解慧心寂然、三界無能及(解慧の心寂然として、三界に能く及ぶもの無し)。
以是故知、出家修戒行道、為甚易(是れを以ての故に知りぬ、出家して戒を修し行道するを、甚易なりと為す)。

復次出家修戒、得無量善律儀、一切具足満。以是故、白衣等応当出家受具足戒(復た次に出家して戒を修すれば、無量の善律儀を得、一切具足して満ず。是れを以ての故に、白衣等応当に出家して具足戒を受くべし)。
復次仏法中、出家法第一難修(復た次に仏法の中には、出家の法第一に修し難し)。
如閻浮提梵志問舎利弗、於仏法中、何者最難(閻浮提梵志の舎利弗に問ひしが如き、仏法の中に、何者か最も難き)。
舎利弗答曰、出家為難(出家を難しと為す)。
又問、出家有何等難(出家には何等の難きことか有る)。
答曰、出家内楽為難(出家は内楽を難しと為す)。
得内楽、復次何者為難(に内楽を得ぬれば、復た次に何者をか難しと為す)。
修諸善法難(諸の善法を修すること難し)。
以是故応出家(是れを以ての故に、応に出家すべし)。
復次若人出家時、魔王驚愁言、此人諸結使欲薄、必得涅槃、墮僧宝数中(復た次に若し人出家せん時、魔王驚愁して言く、此の人は諸の結使薄らぎなんず、必ず涅槃を得て、僧宝の数中に墮すべし)。

復次仏法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生経中説(復た次に仏法の中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生経の中に説くが如し)。
仏在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舎、常讃出家法、語諸貴人婦女言、姉妹、可出家(仏在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舎に入りて、常に出家の法を讃めて、諸の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。
諸貴婦女言、我等少壯、容色盛美、持戒為難、或当破戒(諸の貴婦女言く、我等少壯して、容色盛美なり、持戒を難しと為す、あるいは当に破戒すべし)。
比丘尼言、破戒便破、但出家(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。
問言、破戒当墮地獄、云何可破(戒を破らば当に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。
答言、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。
諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(諸貴婦女、之を笑つて言く、地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。

比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種々衣服而説旧語。或時著比丘尼衣、以為戲笑。以是因縁故、迦葉仏時、作比丘尼。自恃貴姓端正、心生憍慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種々罪。受畢竟値釈迦牟尼仏出家、得六神通阿羅漢道(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種々の衣服を著して旧語を説きき。ある時比丘尼衣を著して、以て戲笑を為しき。是の因縁を以ての故に、迦葉仏の時、比丘尼と作りぬ。自ら貴姓端正なるを恃んで、心に憍慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種々の罪を受けき。受け畢竟りて釈迦牟尼仏に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。
以是故知、出家受戒、雖復破戒、以戒因縁故、得阿羅漢道。若但作悪無戒因縁、不得道也。我乃昔時、世々墮地獄、従地獄出為悪人。悪人死還入地獄、都無所得。今以此証知、出家受戒、雖復破戒、以是因縁、可得道果(是れを以ての故に知りぬ、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ悪を作して戒の因縁無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世々に地獄に墮し、地獄より出でては悪人為り。悪人死して還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今此れを以て証知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因縁を以て、道果を得べしといふことを)。

復次如仏在祇桓、有一醉婆羅門。来到仏所、求作比丘。仏勅阿難、与剃頭著法衣。醉酒即醒、驚怪己身忽為比丘、即便走去(復た次に仏、祇桓に在ししが如き、一りの醉婆羅門有りき。仏の所に来到りて比丘と作らんことを求む。仏、阿難に勅して、剃頭を与へ法衣を著せしむ。醉酒即に醒めて、己が身の忽ちに比丘と為れるを驚怪し、即便ち走り去りぬ)。
諸比丘問仏、何以聴此婆羅門作比丘(諸比丘、仏に問ひたてまつらく、何を以てか此の婆羅門を聴して比丘と作したまひしや)。
仏言、此婆羅門、無量劫中、初無出家心、今因醉後、暫発微心。以此因縁故、後当出家得道(仏言はく、此の婆羅門は、無量の中にも、初めより出家の心無し、今醉に因るが故に、暫く微心を発せり。此の因縁を以ての故に、後に当に出家得道すべし)。
如是種々因縁、出家之功徳無量。以是白衣雖有五戒、不如出家(是の如くの種々の因縁ありて、出家の功徳無量なり。是れを以て白衣に五戒有りと雖も、出家には如かず)。

世尊すでに醉婆羅門に出家受戒を聴許し、得道最初の下種とせしめまします。あきらかにしりぬ、むかしよりいまだ出家の功徳なからん衆生、ながく仏果菩提うべからず。この婆羅門、わづかに醉酒のゆゑに、しばらく微心をおこして剃頭受戒し、比丘となれり。酒醉さめざるあひだ、いくばくにあらざれども、この功徳を保護して、得道の善根を増長すべきむね、これ世尊誠諦の金言なり、如来出世の本懐なり。一切衆生あきらかに已今当の中に信受奉行したてまつるべし。まことにその発心得道、さだめて刹那よりするものなり。この婆羅門しばらくの出家の功徳、なほかくのごとし。いかにいはんやいま人間一生の寿者命者を巡らして出家受戒せん功徳、さらに醉婆羅門よりも劣ならめやは。

転輪聖王は八万歳以上の時にいでて四州を統領せり、七宝具足せり。その時、この四州みな浄土のごとし。輪王の快楽、言葉のつくすべきにあらず。あるいは三千界統領するもありといふ、金銀銅鐵輪の別ありて、一二三四州の統領あり。かならず身に十悪なし。この転輪聖王、かくのごときの快楽に豊かなれども、かうべにひとすぢの白髪おひぬれば、くらゐを太子にゆづりて、我が身、すみやかに出家し、袈裟を著して山林にいり、修練し、命終すればかならず梵天にむまる。このみづからがかうべの白髪を銀凾にいれて、王宮にをさめたり。のちの輪王に相伝す。のちの輪王、また白髪おひぬれば先王に一如なり。転輪聖王の出家ののち、余命のひさしきこと、いまの人にたくらぶべからず。すでに輪王八万上といふ、その身に三十二相を具せり、いまの人およぶべからず。

しかあれども、白髪をみて無常を悟り、白業を修して功徳を成就せんがために、かならず出家修道するなり。いまの王、転輪聖王におよぶべからず。いたづらに光陰を貪欲の中にすごして出家せざるは、来世くやしからん。いはんや小国辺地は、王者の名あれども王者のなし、貪じてとどまるべからず。出家修道せば、天よろこびまぼるべし、龍うやまひ保護すべし。仏の仏眼あきらかに証明し、隨喜しましまさん。

戲女のむかしは信心にあらず、戲笑のために比丘尼の衣を著せり。おそらくは軽法の罪あるべしといへども、この衣をそのみに著せしちから、二世に仏法にあふ。比丘尼衣とは袈裟なり。戲笑著袈裟のちからによりて、第二生葉仏の時にあふたてまつる。出家受戒し、比丘尼となれり。破戒によりて墮獄受罪すといへども、功くちずしてつひに釈迦牟尼仏にあひたてまつり、見仏聞法、発心修して、ながく三界を離れて大阿羅漢となれり、六神通三明を具足せり、かならず無上道なるべし。

しかあればすなはち、はじめより一向無上菩提のために、清浄の信心をこらして袈裟を信受せん。その功徳の増長、かの戲女の功徳よりもすみやかならん。いはんやまた、無上菩提のために菩提心をおこし出家受戒せん、その功徳無量なるべし。人身にあらざればこの功徳を成就することまれなり、西天東土、出家在家の菩薩、祖師おほしといふとも、龍樹祖師におよばず。醉婆羅門、戲女等の因縁、もはら龍樹祖師これを挙して衆生の出家受戒をすすむ、龍樹祖師すなはち世尊金口の所記なり。

世尊言、南州有四種最勝。一見仏、二聞法、三出家、四得道(南州に四種の最勝有り。一に見仏、二に聞法、三に出家、四に得道)。
あきらかにしるべし、この四種最勝、すなはち北州にもすぐれ、諸天にもすぐれたり。いま我ら宿善根力にひかれて最勝の身をえたり、歓喜隨喜して出家受戒すべきものなり。最勝の善身をいたづらにして、露命を無常の風にまかすることなかれ。出家の生々をかさねば、積功累徳ならん。

世尊言、於仏法中、出家果報不可思議。假使有人起七宝塔、高至三十三天、所得功徳、不如出家。何以故。七宝塔者、貪悪愚人能破壊故。出家功徳無有壊毀。是故若男女、若放奴婢、若聴人民、若自己身、出家入道者、功徳無量(世尊言はく、仏法の中に於て、出家の果報不可思議なり。假使人有りて七宝の塔を起てて、高さ三十三天に至るも、得る所の功徳、出家には如かず。何を以ての故に。七宝の塔は貪悪の愚人能く破壊するが故に。出家の功徳は壊毀すること有ること無し。是の故に若しは男女をへ、若しは奴婢を放し、若しは人民を聴し、若しは自己の身をもて、出家し入道せば、功徳無量なり)。

世尊あきらかに功徳の量をしろしめて、かくのごとく校量しまします。福増これをききて、一百二十歳の耄及なれども、しひて出家受戒し、少年の席末につらなりて修練し、大阿羅漢となれり。

しるべし、今生の人身は、四大五蘊、因縁和合してかりになせり、八苦常にあり。いはんや刹那刹那に生滅してさらにとどまらず、いはんや一弾指のあひだに六十五の刹那生滅すといへども、みづからくらきによりて、いまだしらざるなり。全て一日夜があひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて五蘊生滅すといへども、しらざるなり。あはれむべし、われ生滅すといへども、みづからしらざること。この刹那生滅の量、ただ仏世尊ならびに舎利弗とのみしらせたまふ。余聖おほかれども、ひとりもしるところにあらざるなり。この刹那生滅の道理によりて、衆生すなはち善悪の業をつくる、また刹那生滅の道理によりて、衆生発心得道す。

かくのごとく生滅する人身なり、たとひをしむともとどまらじ。むかしよりをしんでとどまれる一人いまだなし。かくのごとく我にあらざる人身なりといへども、巡らして出家受戒するがごときは、三世の諸仏の所証なる阿耨多羅三藐三菩提、金剛不壊の仏果を証するなり。たれの智人か欣求せざらん。これによりて、過去日月燈明仏の八子、みな四天下を領する王位を捨てて出家す。

大通智勝仏の十六子、ともに出家せり。大通入定のあひだ、衆のために法華をとく、いまは十方の如来となれり。父王転輪聖王の所将衆中八万億人も、十六王子の出家をみて出家をもとむ、輪王すなはち聴許す。妙莊厳の二子ならびに父王、夫人、みな出家せり。

しるべし、大聖出現のとき、かならず出家するを正法とせりといふこと、あきらけし。このともがら、おろかにして出家せりといふべからず、賢にして出家せりとしらば、ひとしからんことをおもふべし。今釈迦牟尼仏のときは、羅睺羅阿難等みな出家し、また千釈の出家あり、二万釈の出家あり、勝躅といふべし。はじめ五比丘出家より、をはり須跋陀羅が出家にいたるまで、帰仏のともがらすなはち出家す。しるべし、無量の功徳なりといふこと。

しかあればすなはち、世人もし子孫をあはれむことあらば、いそぎ出家せしむべし。父母をあはれむことあらば、出家をすすむべし。かるがゆゑに偈にいはく、
若無過去世(若し過去世無からんには)、
応無過去仏(応に過去仏無かるべし)。
若無過去仏(若し過去仏無からんには)、
無出家受具(出家受具無けん)。

この偈は、諸仏如来の偈なり、外道の過去世なしといふを破するなり。しかあればしるべし、出家受具は過去諸仏の法なり。我らさいはひに諸仏の妙法なる出家受戒する時にあひながら、むなしく出家受戒せざらん、何のさはりによるとしりがたし。最下品の依身をもて、最上品の功徳を成就せん、閻浮提および三界の中には最上品の功徳なるべし。この閻浮の人身いまだ滅せざらんとき、かならず出家受戒すべし。

古聖云、出家之人、雖破禁戒、猶勝在俗受持戒者。故経偏説、勧人出家、其恩難報(古聖云く、出家の人は、禁戒を破ると雖も、猶ほ在俗にして戒を受持せん者に勝る。故に経に偏に説かく、人を勧めて出家せしむる、其の恩報じ難し)。

復次、勧出家者、即是勧人修尊重業。所得果報、勝琰魔王、輪王、帝釈。故経偏説、勧人出家、其恩難報(復た次に、出家を勧むる者は、即ち是れ人を勧めて尊重業を修せしむ。所得の果報、琰魔王、輪王、帝釈にも勝る。故に経に偏に説かく、人を勧めて出家せしむる、其の恩報じ難し)。
勧人受持近事戒等、無如是事、故経不証(人を勧めて近事戒等を受持せしめんには、是の如くの事無し、故に経に証せず)。

しるべし、出家して禁戒を破すといへども、在家にて戒をやぶらざるにはすぐれたり。帰仏かならず出家受戒すぐれたるべし。出家をすすむる果報、琰魔王にもすぐれ、輪王にもすぐれ、帝釈にもすぐれたり。たとひ毘舎、首陀羅なれども、出家すれば刹利にもすぐるべし。なほ琰魔王にもすぐれ、輪王にもすぐれ、帝釈にもすぐる。在家戒かくのごとくならず、ゆゑに出家すべし。

しるべし、世尊の所説、はかるべからざるを。世尊および五百大阿羅漢、ひろくあつめたり。まことにしりぬ、仏法におきて道理あきらかなるべしといふこと。一聖、三明、六神通の智慧、なほ近代の凡師のはかるべきにあらず、いはんや五百の聖者をや。近代の凡師らがしらざるところをしり、みざるところをみ、きはめざるところをきはめたりといへども、凡師らがしれるところ、しらざるにあらず。しかあれば、凡師の黒闇愚鈍の説をもて、聖者三明の言に比類することなかれ。

婆沙一百二十云、発心出家尚名聖者、況得忍法(発心出家するすら尚ほ聖者と名づく、況んや忍法を得んや)。
しるべし、発心出家すれば聖者となづくるなり。

釈迦牟尼仏五百大願のなかの第一百三十七願、我未来、成正覚已、或有諸人、於我法中欲出家者、願無妨げ。いわゆる羸劣、失念、狂乱、憍慢、無有畏懼、癡無智恵、多諸結使、其心散乱、若不爾者、不成正覚(我れ未来に正覚を成じ已らんに、或し諸人有りて、我が法中に於て出家せんと欲はん者、願、妨げ無けん。いわゆる羸劣、失念、狂乱、憍慢にして、畏懼有ること無く、癡にして智恵無く、諸の結使多く、其の心散乱せらんにも、若し爾らざれば、正覚を成ぜじ)。

第一百三十八願、我未来、成正覚已、或有女人、欲於我法出家学道、受大戒者、願令成就。若不爾者、不成正覚(第一百三十八願に、我れ未来に正覚を成じ已らんに、或し女人有りて、我が法に於て出家学道し、大戒を受けんと欲はん者、願、成就せしめん。若し爾らざれば、正覚を成ぜじ)。

第三百十四願、我未来、成正覚已、若有衆生、少於善根、於善根中、心生愛楽、我当令其於未来世、在仏法中、出家学道。安止令住梵浄十戒。若不爾者、不成正覚(第三百十四願に、我れ未来に正覚を成じ已らんに、若し衆生有りて、善根に少け、善根の中に於て心、愛楽を生ぜん、我れ当に其をして未来世に、仏法の中に在りて出家学道せしむべし。安止して梵浄の十戒に住せしめん。若し爾らざれば、正覚を成ぜじ)。

しるべし、いま出家する善男子善女人、みな世尊の往昔の大願力にたすけられて、さはりなく出家受戒することをえたり。如来すでに誓願して出家せしめまします、あきらかにしりぬ、最尊最上の大功徳なりといふことを。

仏言、及有依我剃除鬚髪、著袈裟片、不受戒者、供養是人、亦得乃至入無畏城。以是縁故、我如是説(仏言はく、及び我れに依りて鬚髪を剃除し、袈裟片を著して、受戒せざらん者有らん、是の人を供養するも、亦た乃至無畏城に入ることを得ん。是の縁を以ての故に、我れ是の如く説く)。
あきらかにしる、剃除鬚髪して袈裟を著せば、戒をうけずといふとも、これを供養せん人、無畏城にいらん。

又云、若復有人、為我出家、不得禁戒、剃除鬚髪、著袈裟片、有以非法悩害此者、乃至破壊三世諸仏法身報身、乃至盈満三悪道故(又云く、若し復た人有りて、我が為に出家して禁戒を得ざるも、鬚髪を剃除し、袈裟片を著せん、非法を以て此れを悩害する者有らば、乃至三世諸仏祖の法身報身を破壊するなり、乃至三悪道盈満するが故に)。
仏言、若有衆生、為我出家、剃除鬚髪、被服袈裟、設不持戒、彼等悉已為涅槃印之所印也(仏言はく、若し衆生有りて、我が為に出家し、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せん、設ひ戒を持たざらんも、彼等悉く已に涅槃の印の為に印せらるる也)。

若復出家、不持戒者、有以非法、而作悩乱、罵辱、毀呰、以手刀杖打縛斫截、若奪衣鉢、及奪種々資生具者、是人則壊三世諸仏真実報身、則挑一切人天眼目。是人為欲隠没諸仏所有正法三宝種故。令天人不得利益墮地獄故。為三悪道長盈満故(若し復た出家して、戒を持たざらん者、非法を以て悩乱、罵辱、毀呰を作し、手に刀杖を以て打縛斫截し、若しは衣鉢を奪ひ、及び種々々の資生の具を奪ふ者有らん、是の人は則ち三世諸仏の真実の報身を壊するなり、則ち一切人天の眼目を挑るなり。是の人は諸仏所有の正法、三宝の種を隠没せんとするが為の故に。の天人をして利益を得ず、地獄に墮せしむるが故に。三悪道長盈満するが為の故に)。

しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひとこれを悩乱すれば、三世諸仏の報身を壊するなり。逆罪とおなじかるべし。あきらかにしりぬ、出家の功徳、ただちに三世諸仏にちかしといふことを。

仏言、夫出家者、不応起悪。若起悪者、則非出家。出家之人、身口相応。若不相応、則非出家。我棄父母、兄弟、妻子、眷属、知識、出家修道。正是修集諸善覚時、非是修集不善覚時。善覚者、憐愍一切衆生、猶如赤子。不善覚者、与此相違(仏言はく、夫れ出家は、応に悪を起こすべからず。若し悪を起さば、則ち出家に非ず。出家の人は、身口相応すべし。若し相応せざれば、則ち出家に非ず。我れ父母、兄弟、妻子、眷属、知識を棄てて、出家修道す。正に是れ諸の善覚を修集すべき時なり、是れ不善覚を修集すべき時に非ず。善覚とは、一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。不善覚とは、此と相違す)。
それ出家の自性は、憐愍一切衆生、猶如赤子なり。これすなはち不起悪なり、身口相応なり。その儀すでに出家なるがごときは、その徳いまかくのごとし。

仏言、復次舎利弗、菩薩摩訶薩、若欲出家日、即成阿耨多羅三藐三菩提、即是日転法輪、転法輪時、無量阿僧祇衆生、遠塵離垢、於諸法中、得法眼浄、無量阿僧祇衆生、得一切法不受故、諸漏心得解脱、無量阿僧祇衆生、於阿耨多羅三藐三菩提、得不退転、当学般若波羅蜜(仏言はく、復た次に舎利弗、菩薩摩訶薩、若し出家の日に、即ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、即ち是の日に転法輪し、転法輪の時、無量阿僧祇の衆生、遠塵離垢し、諸法の中に於て、法眼浄を得、無量阿僧祇の衆生、一切法不受を得るが故に、諸漏の心、解脱を得、無量阿僧祇の衆生、阿耨多羅三藐三菩提に於て、不退転を得んと欲はば、当に般若波羅蜜を学すべし)。

いはゆる学般若菩薩とはなり。しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家即日に成熟するなり。しかあれども、三阿僧祇に修証し、無量阿僧祇に修証するに、有辺無辺に染汚するにあらず。学人しるべし。

仏言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、当捨国位、出家之日、即成無上正等菩提、還於是日、転妙法輪、即令無量無数有情、遠塵離垢、生浄法眼。復令無量無数有情、永尽諸漏、心慧解脱、亦令無量無数有情、皆於無上正等菩提、得不退転。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、応学般若波羅蜜(仏言はく、若し菩薩摩訶薩、是の思惟を作さく、我れ何れの時に於てか、当に国位を捨て、出家の日、即ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を転じ、即ち無量無数の有情をして遠塵離垢し、浄法眼を生ぜしむべき。復た無量無数の有情をして永く諸漏を尽くし、心慧解脱せしめん。亦た無量無数の有情をして、皆な無上正等菩提に於て不退転を得せしめん。是の菩薩摩訶薩、斯の事を成らんと欲はば、応に般若波羅蜜を学すべし)。
これすなはち最後身の菩薩として、王宮に降生し、捨国位、成正覚、転法輪、度衆生の功徳を宣説しましますなり。

悉達太子、従車匿辺、索取摩尼雑餝莊厳七宝把刀、自以右手、執於彼刀、従鞘拔出、即以左手、攬捉紺青優鉢羅色螺髻之髪、右手自持利刀割取、以右手縕、擲置空中。時天帝釈、以希有心、生大歓喜、捧太子髻、不令墮地、以天妙衣、承受接取。爾時諸天、以彼勝上天諸供具、而供養之(悉達太子、車匿が辺より、摩尼雑餝莊厳の七宝の把刀を索取し、自ら右の手を以て彼の刀を執り、鞘より拔き出し、即ち左の手を以て、紺青の優鉢羅色の螺髻の髪を攬捉て、右手に自ら利刀を持ちて割取し、右手を以て縕げて空中に擲置せり。時に天帝釈、希有の心を以て大歓喜を生じ、太子の髻を捧げて地に墮せしめず、天の妙衣を以て承受接取つ。爾の時に諸天、彼の上天に勝れたる諸の供具を以て之を供養せり)。

これ釈迦如来そのかみ太子のとき、夜半に踰城し、日たけてやまにいたりて、みづから頭髪を断じまします。時に浄居天きたりて頭髪を剃除したてまつり、袈裟をさづけたてまつれり。これかならず如来出世の瑞相なり、諸仏世尊の常法なり。

三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。過去有仏のゆゑに、出家受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家受戒によるなり。おほよそ出家受戒の功徳、すなはち諸諸仏の常法なるがゆゑに、その功徳無量なり。聖教のなかに在家成仏の説あれど正伝にあらず、女身成仏の説あれどまたこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは出家成仏なり。

第四優婆毱多尊者、有長者子、名曰提多伽。来礼尊者、志求出家(第四優婆毱多尊者、長者子有り、名を提多伽と曰ふ。来りて尊者を礼し、出家を志求せり)。
尊者曰、汝身出家耶、心出家(汝、身の出家なりや、心の出家なりや)。
答曰、我来出家、非為身心(我れ来りて出家する、身心の為にあらず)。
尊者曰、不為身心、復誰出家(身心の為にあらずは、復た誰か出家する)。
答曰、夫出家者、無我我所故、即心不生滅、心不生滅故、即是常道。諸仏亦常心無形相、其躰亦然(夫れ出家は、我と我所と無きが故に、即ち心、生滅せず。心、生滅せざる故に、即ち是れ常道なり。諸仏も亦た常に心、形相無く、其の躰も亦た然り)。
尊者曰、汝当大悟心自通達。宜依仏法僧紹輶聖種(汝当に大悟して心、自ら通達すべし。宜しく仏法僧に依りて聖種を紹輶すべし)。
即与出家受具(即ち与に出家受具せしめたり)。

それ諸仏の法にあふたてまつりて出家するは、最第一の勝果報なり。その法すなはち我のためにあらず、我所のためにあらず。身心のためにあらず、身心の出家するにあらず。出家の我々所にあらざる道理かくのごとし。我々所にあらざれば諸仏の法なるべし。ただこれ諸諸仏の常法なり。諸諸仏の常法なるがゆゑに、我々所にあらず、身心にあらざるなり。三界のかたを等しくするところにあらず。かくのごとくなるがゆゑに、出家これ最上の法なり。頓にあらず、漸にあらず。常にあらず、無常にあらず。来にあらず、去にあらず。住にあらず、作にあらず。広にあらず、狹にあらず。大にあらず、小にあらず、無作にあらず。仏法単伝の祖師、かならず出家受戒せずといふことなし。いまの提多伽、はじめて優婆毱多尊者にあふたてまつりて出家をもとむる道理かくのごとし。出家受具し、優婆毱多に参学し、つひに第五祖師となれり。

第十七祖僧伽難提尊者、室羅閥城宝莊厳王之子也。生而能言、常讃仏事。七歳即厭世楽、以偈告其父母曰(第十七祖僧伽難提尊者は、室羅閥城宝莊厳王の子なり。生まれて能く言ひ、常に仏事を讃む。七歳にして即ち世楽を厭ひ、偈を以て其の父母に告げて曰く)、
稽首大慈父(稽首す大慈父)、
和南骨血母(和南す骨血母)。
我今欲出家(我れ今出家せんと欲ふ)、
幸願哀愍故(幸願はくは哀愍したまふが故に)。
父母固止之。遂終日不食。乃許其在家出家、号僧伽難提、復命沙門禅利多、為之師。積十九載、未甞退倦。尊者毎自念言、身居王宮、胡為出家(父母固く之れを止む。遂に終日食はず。乃ち其の家に在りて出家せんことを許す。僧伽難提と号け、復た沙門禅利多に命じて之が師たらしむ。十九載を積むに、未だ甞て退倦せず。尊者毎に自ら念言すらく、身、王宮に居す、胡んぞ出家たらん)。

一夕天光下属、見一路坦平。不覚徐行約十里許、至大岩前有石窟焉。乃燕寂于中。父即失子、即擯禅利多、出国訪尋其子、不知所在。経十年、尊者得法授記已、行化至摩提国(一夕、天光下り属し、一路坦平なるを見る。覚えず徐ろに行くこと約十里許りにして、大岩の前に至るに石窟有り焉。乃ち中に燕寂せり。父、即に子を失ひ、即ち禅利多を擯し、国を出でて其の子を訪尋ねしむるも、所在を知らず。十年を経て、尊者、得法授記し已りて、行化して摩提国に至る)。

在家出家の称、このときはじめてきこゆ。ただし宿善のたすくるところ、天光のなかに坦路をえたり。つひに王宮をいでて石窟にいたる。まことに勝躅なり。世観をいとひ俗塵をうれふるは聖者なり。五欲をしたひ出離をわするるは凡愚なり。代宗、肅宗、しきりに徒にちかづけりといへども、なほ王位をむさぼりていまだなげすてず。盧居士はすでに親を辞して祖となる、出家の功徳なり。龐居士はたからを捨ててちりをすてず、至愚なりといふべし。盧公の道力と龐公が稽古と、比類にたらず。あきらかなるはかならず出家す、くらきは家にをはる、黒業の因縁なり。

南嶽懐譲禅師、一日自歎曰、夫出家者、為無生法、天上人間、無有勝者(南嶽懐譲禅師、一日自ら歎じて曰く、夫れ出家は、無生法の為にす、天上人間、勝る者有ること無し)。
いはく、無生法とは如来の正法なり、このゆゑに天上人間にすぐれたり。天上といふは、欲界に六天あり、色界に十八天あり、無色界に四種、ともに出家の道におよぶことなし。

盤山宝積禅師曰、禅徳、可中学道、似地縕山、不知山之孤峻。如石含玉、不知玉之無瑕。若如是者、是名出家(盤山宝積禅師曰く、禅徳、可中学道は、地の山を縕げて、山の孤峻を知らざるに似たり。石の玉を含んで、玉の瑕無きを知らざるが如し。若し是の如くならば、是れを出家と名づく)。
仏祖の正法かならずしも知不知にかかはれず、出家は仏祖の正法なるがゆゑに、その功徳あきらかなり。

鎭州臨済院義玄禅師曰、夫出家者、須弁得平常真正見解、弁仏弁魔、弁真弁偽、弁凡弁聖。若如是弁得、名真出家。若魔仏不弁、正是出一家入一家、喚作造業衆生。未得名為真正出家(鎭州臨済院義玄禅師曰く、夫れ出家は、須らく平常真正の見解を弁得し、弁仏弁魔、弁真弁偽、弁凡弁聖すべし。若し是の如く弁得せば、真の出家と名づく。若し魔仏弁ぜざれば、正に是れ一家を出でて一家に入るなり、喚んで造業の衆生と作す。未だ名づけて真正の出家と為すこと得ず)。

いはゆる平常真正見解といふは、深信因果、深信三宝等なり。弁仏といふは、ほとけの因中果上の功徳を念ずることあきらかなるなり。真偽凡聖をあきらかに弁肯するなり。もし魔仏をあきらめざれば、学道を沮壊し、学道を退転するなり。魔事を覚知してその事にしたがはざれば、弁道不退なり。これを真正出家の法とす。いたづらに魔事を仏法とおもふものおほし、近世の非なり。学者、はやく魔をしり仏をあきらめ、修証すべし。

如来般涅槃時、迦葉菩薩、白仏言、世尊、如来具足知諸根力、定知善星当断善根。以何因縁、聴其出家(如来般涅槃したまひし時、迦葉菩薩、仏に白して言さく、世尊、如来は諸の根を知る力を具足したまふ、定んで善星当に善根を断ずべきを知りたまひしならん。何の因縁を以てか、其の出家を聴したまひしや)。

仏言、善男子、我於往昔、初出家時、吾弟難陀、従弟阿難、調達多、子羅睺羅、如是等輩、皆悉隨我出家修道。我若不聴善星出家、其人次当王得紹王位、其力自在、当壊仏法。以是因縁、我便聴其出家修道(仏言はく、善男子、我れ往昔に於て、初めて出家せし時、吾が弟難陀、従弟阿難、調達多、子羅睺羅、是の如き等の輩、皆な悉く我に隨つて出家修道せり。我れ若し善星が出家を聴さずは、其の人次に当に王として王位を紹ぐことを得て、其の力自在にして、当に仏法を壊るべし。是の因縁を以て、我れ便ち其の出家修道を聴しき)。

善男子、善星比丘、若不出家、亦断善根、於無量世、都無利益。令出家已、雖断善根、能受持戒、供養恭敬耆旧、長宿、有之人、修習初禅乃至四禅。是名善因。如是善因縁、能生善法。善法生、能修習道。即修習道、当得阿耨多羅三藐三菩提。是故我聴善星出家。善男子、若我不聴善星比丘出家受戒、則不得称我為如来具足十力(善男子、善星比丘若し出家せざるも、亦た善根を断じ、無量世に於て都て利益無けん。出家せしめ已りぬれば、善根を断ずと雖も、能く戒を受持し、耆旧、長宿、有徳の人を供養し恭敬し、初禅乃至四禅を修習す。是れを善因と名づく。是の如くの善因は、能く善法を生ず。善法巣即に生じぬれば、能く道を修習す。即に道を修習しぬれば、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。是の故に我れ善星が出家を聴しき。善男子、若し我れ善星比丘が出家受戒を聴さずは、則ち我れを称して如来具足十力と為すこと得じ)。

善男子、仏観衆生、具足善法及不善法。是人雖具如是二法、不久能断一切善根、具不善根。何以故、如是衆生、不親善友、不聴正法、不善思惟、不如法行。以是因縁、能断善根、具不善根(善男子、仏、衆生を観じたまふに、善法と及び不善法とを具足す。是の人是の如くの二法を具すと雖も、久しからずして能く一切善根を断じて不善根を具せん。何を以ての故に、是の如くの衆生は、善友に親しまず、正法を聴かず、善思惟せず、如法に行せず。是の因縁を以て、能く善根を断じて不善根を具す)。

しるべし、如来世尊、あきらかに衆生の断善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさづくるとして出家をゆるさせたまふ、大慈大悲なり。断善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま学者、かならず善友に親近すべし、善友とは、諸仏ましますととくなり、罪福ありとをしふるなり。因果を撥無せざるを善友とし、善知識とす。この人の所説、これ正法なり。この道理を思惟する、善思惟なり。かくのごとく行ずる、如法行なるべし。
しかあればすなはち、衆生は親疎をえらばず、ただ出家受戒をすすむべし。のちの退不退をかへりみざれ、修不修をおそるることなかれ。これまさに釈尊の正法なるべし。

仏告比丘、当知、閻羅王、便作是説、我当何日脱此苦難、於人中生、以得人身、便得出家、剃除鬚髪、著三法衣、出家学道。閻羅王尚作是念。何況汝等、今得人身、得作沙門。是故諸比丘、当念行身口意行、無令有缺。当滅五結、修行五根。如是諸比丘、当作是学(仏、比丘に告げたまはく、当に知るべし、閻羅王便ち是の説を作さく、我れ当に何れの日にか此の苦難を脱し、人中に生じ、以て人身を得て、便ち出家し、剃除鬚髪し、三法衣を著して、出家学道することを得べきと。閻羅王すら尚ほ是の念を作す。何に況んや汝等、今、人身を得て沙門と作ることを得るをや。是の故に諸比丘、当に身口意の行を行じて缺有らしむること無けんと念ずべし。当に五結を滅し、五根を修行すべし。是の如く諸比丘、当に是の学を作すべし)。爾時諸比丘、聞仏所説、歓喜奉行(爾の時に諸比丘、仏の所説を聞いて、歓喜奉行しき)。

あきらかにしりぬ、たとひ閻羅王なりといへども、人中の生をこひねがふことかくのごとし。すでにむまれたる人、いそぎ剃除鬚髪し、著三法衣して、学仏道すべし。これ余趣にすぐれたる人中の功徳なり。しかあるを、人間にむまれながら、いたづらに官途世路を貪求し、むなしく国王大臣のつかはしめとして、一生を夢幻に巡らし、後世は黒闇におもむき、いまだたのむところなきは至愚なり。すでにうけ難き人身をうけたるのみにあらず、あひ難き仏法にあひたてまつれり。

いそぎ諸縁を抛捨し、すみやかに出家学道すべし。国王、大臣、妻子、眷属は、ところごとにかならずあふ、仏法は優曇花のごとくにしてあひがたし。おほよそ無常たちまちにいたるときは、国王、大臣、親昵、従僕、妻子、珍宝たすくるなし、ただひとり黄泉に赴くのみなり。おのれにしたがひゆくは、ただこれ善悪業等のみなり。人身を失せんとき、人身ををしむ心ふかかるべし。人身をたもてるとき、はやく出家すべし、まさにこれ三世の諸仏の正法なるべし。

その出家行法に四種あり。いはゆる四依なり。
一、尽形寿樹下坐。
二、尽形寿著糞掃衣
三、尽形寿乞食。
四、尽形寿有病服陳棄薬。

共行此法、方名出家、方名為僧。若不行此、不名為僧。是故名出家行法(共に此の法を行ぜば、方に出家と名づけ、方に名づけて僧と為す。若し此を行ぜずは、名づけて僧と為さず。是の故に出家行法と名づく)。

いま西天東地、仏祖正伝するところ、これ出家行法なり。一生不離叢林なればすなはちこの四依の行法そなはれり、これを行四衣と称ず。これに違して五依を建立せん、しるべし、邪法なり。たれか信受せん、たれか忍聴せん。仏祖正伝するところ、これ正法なり。これによりて出家する、人間最上最尊の慶幸なり。このゆゑに、西天竺国にすなはち難陀、阿難、調達、阿那律、摩訶男、拔提、ともにこれ師子頬王のむまご、刹利種姓のもとも尊貴なるなり、はやく出家せり。後代の勝躅なるべし。いま刹利にあらざらんともがら、そのみ、をしむべからず。王子にあらざらんともがら、なにのをしむところかあらん。閻浮提最第一の尊貴より、三界最第一の尊貴に帰するはすなはち出家なり。自余の諸小国王、諸離車衆、いたづらにをしむべからざるををしみ、ほこるべからざるにほこり、とどまるべからざるにとどまりて出家せざらん、たれかつたなしとせざらん、たれか至愚なりとせざらん。

羅睺羅尊者は菩薩の子なり、浄飯王のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。しるべし、出家の法最尊なりと。密行第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず、衆生の福田として世間に現住しまします。

西天伝仏正法眼蔵の祖師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦の初祖、これ香至王第三皇子なり。王位をおもくせず、正法を伝持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。これらにならぶるにおよばざる身をもちながら、出家しつべきにおきていそがざらん、いかならん明日をかまつべき。出息、入息をまたず。いそぎ出家せん、それかしこかるべし。またしるべし、出家受戒の師、その恩徳、すなはち父母にひとしかるべし。

禅苑清規第一云、三世諸仏、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、伝仏心印、尽是沙門。蓋以厳浄毘尼、方能洪範三界。然則参禅問道、戒律為先。即非離過防非、何以成仏作祖(禅苑清規第一に云く、三世諸仏、皆な出家成道と曰ふ。西天二十八祖、唐土六祖、仏心印を伝ふる、尽く是れ沙門なり。蓋し以て毘尼を厳浄して、方に能く三界に洪範たり。然あれば則ち参禅問道は戒律為先なり。即に過を離れ非を防ぐに非ずは、何を以てか成仏作せん)。

たとひ澆風の叢林なりとも、なほこれ薝蔔(せんぷく)の林なるべし。凡木凡草のおよぶところにあらず。また合水の乳のごとし。乳をもちゐんとき、この和水の乳をもちゐるべし、余物をもちゐるべからず。
しかあればすなはち、三世諸仏、皆曰出家成道の正伝、もともこれ最尊なり。さらに出家せざる三世諸仏おはしまさず。これ仏々祖々正伝の正法眼蔵涅槃妙心、無上菩提なり。

正法眼蔵出家功第一

延慶三年八月六日書写之

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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