菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)

投稿日:0528年10月5日 更新日:

お釈迦さまから28代目の祖師である菩提達磨大師は、西インドから中国に至り、大乗仏教をもたらしたインド人僧侶です。震旦初祖、円覚大師とも呼ばれ、達摩と表記される場合もあります。達磨大師の伝記に関しては諸説ありますが、禅宗の伝統的な見解では、中国の梁の時代・普通8(527)年に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都・建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、洛陽(河南省)郊外の嵩山少林寺というところで面壁九年の坐禅を修行され、不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏の宗旨を標榜し、禅宗の初祖と仰がれています。

また、達磨大師は南インドのチェンナイから数十キロ南西の町、カーンチープラム(タミルナード州)(中国の記述でいうところの「香至国」)という都でパッラバ王朝の第三王子として生れたといわれています。パッラバ王朝の王は仏教を厚く信仰しており、ある時、お釈迦さまから26代目の不如密多(ふにょみった)尊者から法を受け嗣ぎ衆生済度のため、東インドから南インドのカーンチープラムに来ていた、お釈迦さまから27代目の般若多羅(はんにゃたら)尊者に高価な宝珠を布施しました。その時、同席していた第三王子の受け答えを見聞し、法嗣となるべき人物だと知ったいわれています。やがて王が亡くなった時に皆は泣き叫びましたが、第三王子は棺の前で定に入り、七日を経て出定すると出家することを求め具足戒を受け、般若多羅尊者の法を得て菩提達磨となったといわれます。

面壁九年の坐禅を行った嵩山少林寺は洛陽の東にありますが、達磨大師は洛陽の西にある熊耳山で10月5日に論敵の毒殺によって亡くなられたといわれています。達磨大師の不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏の宗旨は、文字や経典をたよらずに、仏の心(正法)を、師匠から弟子へと直接伝えていくということであり、弟子に伝えられて今日に至ります。また、達磨大師の正法をさかのぼれば、お釈迦さまに行き着くことになり、達磨大師の正法は、お釈迦さまの正法と同じということです。

生誕 

命日 永安元年10月5日(528年11月2日)

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