アーナンダ(阿難)

投稿日:0101年3月1日 更新日:

アーナンダ(aananda,आनन्द)、阿難 (あなん)、阿難陀(あなんだ)

ブッダの従弟であり、十大弟子の一人で「多聞第一」といわれています。nandaは歓喜・慶喜という意味です。釈迦族の王族であるドートーダナ(斛飯王・こくはんおう)の子であり、仏教経典に悪人として描かれているダイバダッタ(提婆達多・だいばだった)の弟です。

ブッダが成道した日の未明、父のシュッドーダナ(浄飯王・じょうはんおう)は自分の子がブッダとなったことをいち早く感得していました。大喜びをしていたちょうどその時、弟のドートーダナの第二子が誕生したとの知らせが舞い込み、シュッドーダナはその報告に浮かれ気分のままに「今日はめでたい日だから『めでたい(アーナンダ)』と云う名を付けてやれ」と言い、彼はアーナンダと名付けられたのでした。

アーナンダ25歳の時に出家し、ブッダが涅槃に入るまで25年間常に侍者として、身の回りの世話を行いました。そのため教説を最もよく聞き、記憶していたので、第1回の経典結集の時には彼の記憶に基づいて釈迦の教えを口述し、経典が編纂されたといいます。

アーナンダはブッダ生存中には悟ることができませんでした。一方、ブッダ滅後の仏法と戒律の統一を確立するため、マハーカッサパ(摩訶迦葉・まかかしょう)の提唱により、第一結集(だいいちけつじゅう)(経典編纂会議)が王舎城 (ラージャグリハ)・七葉窟において開催されることになりました。

アーナンダは阿羅漢でなかったため結集の参加資格がありませんでしたが、最も多くブッダの言葉を聞いていたため、マハーカッサパが指導を続け、結集当日の朝、その疲れで寝具に倒れ込む時に忽然と悟ることが出来、第一結集に間に合ったといいます。

この結集で、アーナンダは中心的役割を担い、ブッダのそばで聞き続けた教えを何時、何処で、誰に対してブッダはこのような法を説かれたと語り続け、他の阿羅漢達がそれを承認することによって、経典が確立していきました。多くの経典が「如是我聞」(私はこのように釈尊から聞いた)という言葉で始まるこの「我」とは多くはアーナンダを指すと考えられています。

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