マハーカッサパ(摩訶迦葉)

投稿日:0101年3月1日 更新日:

マハーカッサパ(Mahaakassapa、महाकस्सप)、摩訶迦葉 (まかかしょう)、大迦葉(だいかしょう)、迦葉(かしょう)

ブッダの十大弟子の一人で「頭陀第一」といわれています。マガダ国の王舎城付近のマハーハーダラ(摩訶波羅陀)村のバラモンであるニグローダ・ゴーパ(尼拘律陀羯波)の子で、ピッパラ(菩提樹)の下で生まれたことから、幼名をピッパリといわれました。裕福なバラモンの家系の出身であると伝えられます。

カッサパ(迦葉)という姓は、古代インドで一般的な名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も登場しますが、このマハーカッサパ(摩訶迦葉)とは別人です。

8歳でバラモンに入門し修行してすべてを得ましたが、いずれは出家して求道したいと考えていました。二十歳の頃に両親は、マハーカッサパに結婚をすすめましたが、清浄な生活を送りたいと一度は断るも断りきれず、結婚をすすめる親に対して、マハーカッサパは純金の美しい女人像を造らせて、「これと同じならばその人と結婚しよう」と条件を出しました。困った両親は8人のバラモンに探すように頼みました。ところが条件どおりの美女が見つかっってしまいます。娘の名はバドラー・カピラーニといいました。

ある時、マッダ国のサーガラ川岸の沐浴場でその像を載せた台車を置いて休んでいたところ、バドラー・カピラーニ(跋陀羅迦毘羅耶)の乳母が、その像を見て彼女と見間違えたことから縁談がまとまりました。しかし彼女はまだ16歳で、彼女自身も出家したいと考えていました。

マハーカッサパも彼女も使者に手紙を遣わして結婚を断るように要請しましたが、お互いの使者が道で出会い、後々の事を考え破り捨てた。マハーカッサパは浮浪者に身を窶して彼女の家に行き、互いに同じ出家の意志がある事を確認すると、それを承知の上で結婚することになりました。

彼らは床も離れて寝たので12年間、子どももなく過ごしましたが、マハーカッサパの両親が亡くなったある日、マハーカッサパが畑仕事をしていると、土から出てきた虫が鳥にさらわれ、食べられる光景を目の当りにします。間接的にではあるけれど、殺生の罪を犯したことに気付き、世の無常を感じました。

また、バドラー・カピラーニも同じく胡麻を乾燥していると多くの虫がおり、このまま油を絞ると殺生すると思い、世の無常を感じました。このことが出家の決定的な動機となりました。

多くの人が引き止める中、剃髪して粗衣に着替え鉢を持って出家しましたが、ある分かれ道でこのままでは私情に流されるとして、マハーカッサパは右へ、バドラー・カピラーニは左へと分かれたといいます。

マハーカッサパは出家してもバラモンの修行をしていましたが、王舎城とナーダダ(那茶陀)村の間にある一本のニグローダ樹下に坐していたブッダと出会い、ついに弟子となり名前を正式に(マハー)カッサパと改め竹林精舎に到ります。

ブッダに入門した時、既に32相中、7相を具えていたとされ、出家して8日目に阿羅漢果を得てマハーカッサパと称されました。マハーカッサパは「頭陀第一」といわれます。頭陀とは衣・食・住にとらわれず、清浄に仏道を修行することをいいます。

後年、ブッダはマハーカッサパに「あなたも年老いたことだから、いつまでも苦しい頭陀行をやることはない」と労りの言葉をおかけになったところ、マハーカッサパは「後人に教えるところもあろうかと思いまして」と答えたといいます。ブッダの死後、初めての結集の座長を務め、教団の統率に務めました。

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