『典座教訓』13、まず心をこめて行ずること

投稿日:2023年8月13日 更新日:

誠に夫れ当職、先聞現証、眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的と謂うべきか。縦い粥飯頭の名を忝うせば、心術も亦之に同ずべし、『禅苑清規』に云く、「二時の粥飯、理すること合に精豊なるべし。四事の供すべからく闕少せしむること無かるべし。世尊二十年の遺恩、児孫を蓋覆す。白毫光一分の功徳、受用不尽」と。然あれば則ち「但衆に奉することを知って、貧を憂うべからず。若し有限の心無くんば、自ら無窮の福有らん」と。

蓋し是れ衆に供ずるは住持の心術なり。供養の物色を調弁するの術は、物の細を論せず、物の麁を論ぜず、深く真実の心、敬重の心を生ずるを、詮要と為す。見ずや漿水の一鉢も、也た十号を供じて自ら老婆生前の妙功徳を得、菴羅の半果も、也た一寺に捨して能く育王最後の大善根を萌し、記莂を授かり、大果を感ぜり。仏の縁と雖も、多虚少実に如かず。是れ人の行なり。

いわゆる、醍醐味を調うるも、未だ必ずしも上となさず。莆菜羮を調うるも、未だ必ずしも下となさず。莆菜を捧げ、莆菜を択ぶの時、真心、誠心、浄潔心にして、醍醐味に準ずべし。所以は何んとなれば、仏法清浄の大海衆に朝宗するの時は、醍醐味を見ず、莆菜味を存せず、唯一大海の味のみ。況んや復た道芽を長じ聖胎を養うの事は、醍醐と莆菜と、一如にして二如無きおや。「比丘の口、竈の如く」の先言あり。

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1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気づくこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、すべて行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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