「 浄土宗の出来事 」 一覧

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知恩院の三門、御影堂が国宝に

2002年(平成14年)、知恩院の三門、御影堂が国宝の指定を受ける。 << 戻る

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大教院開院

1873(明治六)年1月、大教院開院。明治維新当時、新政府は天皇を中心とした神道思想(大教(だいきょう))によって国をまとめあげようと考えました。これを人々に広めるために教導職(きょうどうしょく)が設 ...

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宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止

1871(明治四)年4月、戸籍法改正され宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止。 << 戻る

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神仏分離令、廃仏毀釈

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府神仏分離令出す。廃仏毀釈 によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。 << 戻る

知恩院、大方丈・黒門・集会堂などの修復

1835年(天保6年)、大方丈・黒門・集会堂などの修復なる。 << 戻る

知恩院、「華頂山」の勅額

1710年(宝永7年)、霊元上皇宸翰「華頂山」の勅額を賜う。 << 戻る

福満寺の創建

元禄四年(1691年)、田地山福満寺が創建される。 << 戻る

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宗門改と寺請檀家制度を実施

1640(寛永一七)年、江戸幕府、宗門改役を設置し、宗門改と寺請檀家制度が実施される。宗旨人別帳作成。 << 戻る

知恩院、諸堂の再建

1639年(寛永16年)、諸堂の再建なる(御影堂・大小方丈など)。 知恩院の火災について三代将軍徳川家光公に報告し、再建の命を下し、片桐貞昌を造営奉行として復興が行われました。1639年(寛永16年) ...

勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失

1633年(寛永10年)、知恩院で火災が発生し、勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失してしまいました。そのときの様子が、当時知恩院の山役で、塔頭(たっちゅう)良正院の宗把(そうは)上人の手記に詳細に書か ...

蓮台寺の建立

寛永2年(1625)、蓮台寺は上野山村山内伊織重但(高知城主山内氏の一族)により建立され、随應院第七世然誉憶公上人(重但の次男)を開山として招き、地蔵院法然寺と称し、随應院の隠居寺とした。(公式ページ ...

徳源寺の開山

徳源寺は元和8(1622)年に㭝牛という僧により法泉寺として開山した。その後、領主山口源助が浄土宗に改め、京都黒谷金戒光明寺に末属した。 << 戻る

知恩院、三門、経蔵を造営

1619年(元和5年)、江戸幕府が知恩院の三門、経蔵を造営、2年後に竣工しました。 【三門】 1619年(元和5年)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。構 ...

後陽成天皇八宮を門跡に定める

1607年(慶長12年)、後陽成天皇の第八皇子として誕生された良純入道親王(通称は八宮)は5歳の時に知恩院門跡に定められる。知恩院初代門跡。 << 戻る

知恩院、青蓮院の一部を与えられ寺地堂舎を造堂

1604年(慶長9年)、徳川家康が母・伝通院(でんつういん)の菩提寺に決めたことから江戸幕府からの援助を受けるようになり、青蓮院の敷地の一部を与えられ、寺地堂舎が造堂されました。 << 戻る

知恩院に寺領七百三石余

1603年(慶長8年)、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す。 << 戻る

知恩院に寺領百九十石

1585年(天正13年)、豊臣秀吉、知恩院に寺領百九十石の朱印状を付す。 << 戻る

普門寺の創建

天正5年(1577)、普門寺は秀譽勝庵師によって太田の地に福山市大念寺末として創建される。 << 戻る

西王寺の創建

永禄3年(1560年)西王寺の創建。 << 戻る

東明寺の開基

弘治3年(1557)誓譽上人の開基。 << 戻る

知恩院、勢至堂の再興

勢至堂(せいしどう)の地は、法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰で ...

知恩院にて御忌大会

1524年(大永4年)、御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が知恩院で始まる。 << 戻る

知恩院、火災にあう

1517年(永正14年)8月、火災がおこったが、影像、勅伝など災いを免れた。 << 戻る

鎌倉に大仏ができる

1252年、鎌倉に大仏ができる。 << 戻る

源智、知恩院の諸堂を興す

1234年(文暦1年)、法然上人の弟子源智が上人を開山として知恩院の諸堂を興す。 << 戻る

大谷廟堂が破却される

1227年(嘉禄3年)、比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却する。 << 戻る

法然上人の示寂

建暦二年(1212)1月25日、法然上人80歳で示寂しました。 「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」 の経文をとなえ、眠るように示寂されました。 << 戻る

一枚起請文

『一枚起請文』は、建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である常随給仕首尾18年の門弟源智上人の念仏の肝要について「一筆書きとどめて頂きたい」という要請により書かれたも ...

法然上人の帰洛

建暦元年(1211)11月17日帰洛を許された上人は、その月の20日、5年ぶりに京都の地をふみましたが、旧居吉水の禅房はほとんど荒廃していたので、『 愚管抄 (ぐかんしょう) 』の著者であり、兼実の弟 ...

法然上人の配流

承元元(1207)年2月18日 専修念仏を停止し法然上人を土佐(実は讃岐)に、親鸞を越後に配流が決まり、安楽房遵西は六条河原で、住蓮は近江の馬淵で処刑されることに決まりました。 配流の決定した上人は ...

建永の法難

建永元(1206)年12月、門下の住蓮と安楽房遵西が、六時礼讃の哀調に感銘した院の女房と密通したという(捏造)事件により、法然上人はその責任を免れることができませんでした。兼実は免罪運動を行いましたが ...



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