「 知恩院-京都府京都市東山区 」 一覧

ミッドナイト念仏

  ミッドナイト念仏とは、夜から翌朝まで木魚を打ち「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称える行事であり、主に浄土宗総本山知恩院で行われています。1996年9月に初開催され(おてつぎ運動 ...

新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴う山内行事(6月)の中止について(知恩院)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内での発生状況を踏まえて感染拡大防止を考慮した結果、下記の行事の中止を決定いたしました。皆様には多大なご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解のほどお願い ...

消費税増税に伴う価格改定のお知らせ

令和2年1月より、精進料理を下記の価格にてご提供させていただきます。(知恩院) 葵御膳  4,500円 華頂御前 3,500円 知恩弁当 2,000円 詳しくは公式ページへ

知恩院 秋のライトアップ2018

知恩院のライトアップに行ってきました。 知恩院は京都で一番好きな場所で、1年に何度か訪れるのですが、ライトアップは初めて。(リンク先より) ・知恩院 秋のライトアップ2018

京都府京都市東山区の寺院

寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。 👍2 知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町 👍2 法性寺 浄土宗西山禅林寺派 京 ...

台風被害 下鴨神社と知恩寺

一昨日(9月4日)に近畿地方を襲った台風21号は、京都の文化財にも多くの被害がありました。家の近くの気になる寺社の写真と共に、昨日の段階で判明している京都府の文化財被害をお知らせします。(リンク先より ...

知恩院の三門、御影堂が国宝に

2002年(平成14年)、知恩院の三門、御影堂が国宝の指定を受ける。 << 戻る

知恩院、大方丈・黒門・集会堂などの修復

1835年(天保6年)、大方丈・黒門・集会堂などの修復なる。 << 戻る

知恩院、「華頂山」の勅額

1710年(宝永7年)、霊元上皇宸翰「華頂山」の勅額を賜う。 << 戻る

知恩院、諸堂の再建

1639年(寛永16年)、諸堂の再建なる(御影堂・大小方丈など)。 知恩院の火災について三代将軍徳川家光公に報告し、再建の命を下し、片桐貞昌を造営奉行として復興が行われました。1639年(寛永16年) ...

勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失

1633年(寛永10年)、知恩院で火災が発生し、勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失してしまいました。その時の様子が、当時知恩院の山役で、塔頭(たっちゅう)良正院の宗把(そうは)上人の手記に詳細に書かれ ...

知恩院、三門、経蔵を造営

1619年(元和5年)、江戸幕府が知恩院の三門、経蔵を造営、2年後に竣工しました。 【三門】 1619年(元和5年)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。構 ...

後陽成天皇八宮を門跡に定める

1607年(慶長12年)、後陽成天皇の第八皇子として誕生された良純入道親王(通称は八宮)は5歳の時に知恩院門跡に定められる。知恩院初代門跡。 << 戻る

知恩院、青蓮院の一部を与えられ寺地堂舎を造堂

1604年(慶長9年)、徳川家康が母・伝通院(でんつういん)の菩提寺に決めたことから江戸幕府からの援助を受けるようになり、青蓮院の敷地の一部を与えられ、寺地堂舎が造堂されました。 << 戻る

知恩院に寺領七百三石余

1603年(慶長8年)、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す。 << 戻る

知恩院に寺領百九十石

1585年(天正13年)、豊臣秀吉、知恩院に寺領百九十石の朱印状を付す。 << 戻る

知恩院、勢至堂の再興

勢至堂(せいしどう)の地は、法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰で ...

知恩院にて御忌大会

1524年(大永4年)、御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が知恩院で始まる。 << 戻る

知恩院、火災にあう

1517年(永正14年)8月、火災がおこったが、影像、勅伝など災いを免れた。 << 戻る

源智、知恩院の諸堂を興す

1234年(文暦1年)、法然上人の弟子源智が上人を開山として知恩院の諸堂を興す。 << 戻る

知恩院-京都府京都市東山区

・知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町 1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る 1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅 ...



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.