「 真言宗の出来事 」 一覧

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高野山真言宗設立

昭和二十一年(1946年)、高野山真言宗設立し金剛峯寺を総本山とする。 << 戻る

大塔落慶

昭和十二年(1937年)、根本大塔落慶。 << 戻る

金堂落慶

昭和七年(1932年)、金堂落慶。 << 戻る

ケーブルカーが開通

昭和五年(1930年)、ケーブルカーが開通。 << 戻る

電車が極楽橋まで開通

昭和四年(1929年)、電車が極楽橋まで開通。 << 戻る

金堂全焼する

昭和元年(1926年)、金堂全焼する。 << 戻る

女人の入住が公式に認められる

明治三十八年(1905年)、女人の入住が公式に認められる。 << 戻る

高野山大師教会発足

明治三十三年(1900年)、高野山大師教会発足。 << 戻る

子院六百数十ヶ寺を統廃合

明治二十四年(1891年)、高野山内の子院六百数十ヶ寺を統廃合し、百三十ヶ寺に。 << 戻る

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大教院開院

1873(明治六)年1月、大教院開院。明治維新当時、新政府は天皇を中心とした神道思想(大教(だいきょう))によって国をまとめあげようと考えました。これを人々に広めるために教導職(きょうどうしょく)が設 ...

高野山の女人禁制とかれる

明治五年(1872年)、高野山の女人禁制とかれる。 << 戻る

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宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止

1871(明治四)年4月、戸籍法改正され宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止。 << 戻る

高野山の寺領を国へ返す

明治四年(1871年)、高野山の寺領や寺有林も政府に返上し、経済的地盤も失いました。 << 戻る

青厳寺・興山寺を合併し金剛峯寺と改める

明治二年(1869年)、青巌寺と興山寺が合併して真言宗の一寺院となり、高野山全体の寺号だった「金剛峯寺」を称します。 << 戻る

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神仏分離令、廃仏毀釈

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府神仏分離令出す。廃仏毀釈 によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。 << 戻る

学侶、行人、聖の三派が廃止

明治元年(1868年)、学侶、行人、聖の三派が廃止される。 << 戻る

御影堂が紀州徳川家を檀主として再建される

弘化四年(1847年)、現在の御影堂が紀州徳川家を檀主として再建される。 << 戻る

伽藍全焼する

天保十四年(1843年)、落雷による大火で伽藍全焼する。 << 戻る

現在の大門が出来る

宝永二年(1705年)、現在の大門が出来る。 << 戻る

長建寺の起こり

元禄12(1699)、伏見奉行建部内匠頭政宇が中書島を開拓するにあたり、深草大亀谷即成就院の塔頭多門院を当地に移し、弁財天を祀ったのが当寺の起こりで、寺名は建部氏の長寿を願って名付けられた。 << 戻 ...

護國寺創建

天和元年(1681)、江戸幕府5代将軍徳川徳川綱吉が生母・桂昌院の発願により新義真言宗・亮賢を開山に迎え創建しました。 << 戻る

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宗門改と寺請檀家制度を実施

1640(寛永一七)年、江戸幕府、宗門改役を設置し、宗門改と寺請檀家制度が実施される。宗旨人別帳作成。 << 戻る

伽藍諸堂、焼失する

寛永七年(1630年)、伽藍諸堂、焼失する。 << 戻る

廣誓寺の建立

1598(慶長2)年 金沢市の砂丘地帯・五郎島地区に、不破家が真言宗安養山廣誓寺を建立。不破家の菩提寺となる。(公式ページより) << 戻る

青厳寺建立

天正二十年(1593年)、豊臣秀吉、剃髪寺(のちに青巌寺と改名)建立。 文禄4年(1595年)の秀次事件では、青巌寺で豊臣秀次の切腹が行われています。 << 戻る

興山寺建立

天正十八年(1590年)、豊臣秀吉、興山寺建立。 << 戻る

豊臣秀吉の高野山を焼き討ちは中止される

天正十三年(1585年)、織田信長の基盤を継いだ豊臣秀吉も高野山を焼き討ちしようとするが、高野山の客僧だった応其上人の働きで中止される。高野山の寺領が解放され、秀吉はその後、金堂や大塔を再建するなど、 ...

織田信長、高野攻め

天正九年(1581年)、織田信長、高野攻め。 高野山は比叡山と同じように、独自の武力を蓄えていた。寺領は17万石以上あり、3万6千の兵を養っていたと記されている。高野山が織田信長を裏切った荒木村重の残 ...

伽藍諸堂、焼失する

大永元年(1521年)、伽藍諸堂、焼失する。 << 戻る

竪精論議始まる

応永十四年(1407年)5月3日、二者対立して論議の勝敗をあらそう竪精論議始まる。 竪精(りっせい)とは、高野山の僧侶が履修する「学道」とよばれる真言教学について研鑽する一連の儀礼の一つで論議の方式を ...

町石が建てられる

文永二年~弘安八年(1265年~1285年)、高野山麓慈尊院から山上まで町石が建てられる。 << 戻る



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