「 分かったと思ったことはそのままにせず様々な点から考え直す 」 一覧

『典座教訓』8、ことに見合った細かい心配り

このごとくさんらいしさんきょして、 此の如く参来し参去して、 もしせんごうのぎさいあらば、 如し纎毫の疑猜有らば、 たのどうす、 他の堂司、 およびしょりょうのちょうしゅ、 及び諸寮の頭首、 りょうし ...

『典座教訓』20、天地の寸法は隔たりがない

いわゆる、だいしんとは、 いわゆる、大心とは、 そのこころをだいせんにし、 其の心を大山にし、 そのこころをたいかいにし、 其の心を大海にし、 へんなくとうなきこころなり。 偏無く党無き心なり。 りょ ...

『正法眼蔵随聞記』103、古人云く知因識果の知事に属して

示して云く、古人云く、「知因識果の知事に属して、院門の事全て管ぜず。」と。言う心は、寺院の大小の事、すべからく管せず、ただ工夫打坐すべしとなり。 また云く、「良田万頃よりも薄芸身に従うるにはしかず。」 ...

『正法眼蔵随聞記』77、三覆して後に云え

示して云く、「三覆して後に云え。」と云う心は、おおよそ物を云わんとする時も、事を行わんとする時も、必ず三覆して後に言い行うべし。先儒多くは三たび思いかえりみるに、三たびながら善ならば云い行なえと云うな ...

『正法眼蔵随聞記』69、学道の人自解を執する事なかれ

一日参学の次、示して云く、学道の人、自解を執する事なかれ。たとひ所会ありとも、もしまた決定よからざる事もあらん、また是れよりもよき義もやあらんと思うて、ひろく知識をも訪い、先人の言をも尋ぬべきなり。ま ...

『正法眼蔵随聞記』75、学人初心の時

一日示して云く、学人初心の時、道心あっても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。 我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらい、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に ...

『法句経』ダンマパダ【 第19章 道を実践する人 】

256 荒々しく事がらを処理するからとて、公正な人ではない。賢明であって、義と不義との両者を見極める人、 257 粗暴になることなく、決まりに従って、公正な仕方で他人を導く人は、正義を守る人であり、道 ...

スッタニパータ【第3 大いなる章】12、二種の観察

 わたしが聞いたところによると、ある時、尊師は、サーヴァッティー郊外の東園にあるミガーラ長者の母の宮殿の内にとどまっておられた。その時、尊師(ブッダ)はその定期的集会(布薩)の日、十五日、満月の夜に、 ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】9、マーガンディヤ

835 師(ブッダ)は語った、「我は昔、悟りを開こうとした時に、愛執と嫌悪と貪欲という三人の悪女を見ても、彼らと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの女がそもそも何者なのだ ...

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】12、並ぶ応答 ─ 小篇

878 世の学者たちはめいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、みずから真理への熟達者であると称して、様々に論ずる。「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全 ...



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